◆波乱含みとなったTICADの歩み

今回のアフリカ開発会議(TICAD7)には、西サハラからの代表団が初めて参加している。では、なぜこれまでは参加してこなかったのか。

ギャラリー:【写真特集】“アフリカ最後の植民地” 西サハラから(2)

TICADは日本が立ち上げた国際会議だ。その会議に、日本が承認していない国を招こうと招くまいと、日本の勝手ではないか。そう思われる方もいるかもしれない。

西サハラの民によって建国されたサハラ・アラブ民主共和国(RASD)を国家として承認している国は少ない。しかし同時に、RASDを樹立したポリサリオ戦線は国連に代表部を置き、国連はポリサリオ戦線を西サハラ住民の代表として認めている。

また、西サハラがモロッコからの分離独立を求めているとする記事が散見されて久しいが、これは正確ではない。西サハラは国連によって、民族自決権の行使が望まれる「非自治地域」として定められている。国際法上は、西サハラはモロッコの施政下に置かれてはおらず、モロッコが力で支配しているに過ぎない。西サハラは今もモロッコの一部ではないため、「分離」とはならないのだ。

アフリカに残された最後の植民地であり非自治地域でもある西サハラは、長くTICADには参加していなかった。1993年以降に初めてのTICADが東京で開催されて以降、TICADの主導権は日本にあったからだ。どの国を招くかは、日本側に決める権利があった。

その後、2010年にAUが共催者となり、2013年のTICAD IV以降は3年ごとに、日本とアフリカ諸国で交互に開催されることとなる。AUが共催者となって変わったことは、会場が持ち回りとなっただけではない。AUが共催者となる流れの中で、TICADという国際会議において、AUはアフリカを代表する存在として大きな影響力を持つことになった。

これまで様々な国際会議に市民団体の立場で参加してきた、アフリカ日本協議会の稲場雅紀氏は、この事情に明るい。以下、今年7月3日に都内で開かれた西サハラセミナーでの稲場氏の言葉を借りながら、AUが共催者となった後の経緯をまとめたい。