〈インタビュー1〉キム・ギョンヒさん 一八歳 1
中国に近い咸鏡北道○○郡出身。
二〇〇二年に父親が事故死、主婦だった母親が小さな畑を耕して生計を立てていた。
ギョンヒさんは中学卒業後、小売商店に就職したが、やめて小さな商売をしていた二〇〇六年一二月に中国に脱出。
その直後に石丸次郎がインタビューした。
整理 石丸次郎

「下の中」の暮らし向き
Q:ギョンヒさんの家には、どんな家財道具があった?
A:自転車ぐらいしかありませんでした。

Q:日本の中古自転車だね? いくらで買ったの?
A:一〇万ウォン。(当時、約三七〇〇円)

Q:ギョンヒさんの家の生活水準は「上中下」に分けるとするとどこに属しますか?
A:「下」に属します。(笑)

Q:「下」をまた「上中下」に分けるとするとどう? 「下」がコチェビ(ホームレス)だとすると......。
A:「下」の「中」だと思います。

Q:それならコチェビすれすれということ?(笑) それでは「下」の「中」であるギョンヒさんの家にはテレビはあった?
A:白黒テレビがありました。白黒なら四万ウォンくらいですが、カラーテレビは三〇万ウォンもします。庶民はテレビがあっても白黒です。お金がないから。
「下」の「中」の家の五〇%には、扇風機があると思います。冷蔵庫、洗濯機は普通の人々には想像さえ出来ないです。

Q:機械があっても電気がなければ使えないだろうに。
A:停電の時、お金のある人は車のバッテリーに充電しておいた電気を使います。
いい暮らしをしている人を見ると、あの人たちはいったいどうやってあんな暮らしができるんだろうって思ってしまいます。働かないで遊び呆けてもすごくいい暮らしをしているんです。朝鮮では、懸命に働かないと食べ行けないはずなのに。贅沢な暮しをしている人を見ると、いろいろ疑問が湧いてきます。
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