死地で過ごした十日間 [その1]

命がけの川渡り 命がけで急流を泳ぐ朝鮮の子どもたちです。途中で溺れて死ぬかもしれないけれど、渡らなければなりません。飢えて死ぬよりはましだと、銃に撃たれて死ぬかもしれないけれど、この川を渡るのです。あそこに、ひもじさから抜け出せる自由の地が見えるんだから…。 ―キルス
命がけの川渡り
命がけで急流を泳ぐ朝鮮の子どもたちです。途中で溺れて死ぬかもしれないけれど、渡らなければなりません。飢えて死ぬよりはましだと、銃に撃たれて死ぬかもしれないけれど、この川を渡るのです。あそこに、ひもじさから抜け出せる自由の地が見えるんだから…。 ―キルス

 

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(文) チャン・キルス
中国越境当時15歳。咸鏡北道花台郡生まれ。高等中学学校在学中に、父と、軍隊に行っている上の兄を残したまま、99年1月母と下の兄と共に北朝鮮脱出。その後2度にわたり、家族を助けるために再び豆満江を渡った。
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梅雨のまっただ中であった1999年8月のある日。
ぼくは再び決して戻らないと固く心に決めていたのに、豆満江を越えて北朝鮮に向かわなくてはならなかった。
いとこのミング兄さんといっしょだった。
豆満江に足を踏み入れた瞬間、なぜかおそろしくて震えがきた。まるで魔鬼(地獄)の巣窟に向かうような気持ちだった。

しかし、「どんなことも我慢しよう。安全に目的地にたどり着かなければならない」という考えが頭から離れなかった。それは北朝鮮で飢えている父さんを助け、中国でつかまり強制送還された伯母さんを助けるためだった。
ミング兄さんは、朝鮮のお金で1万ウォンあれば北朝鮮に送還された母親を助けることができるという話を信じ、中国でかき集めた600元(注・朝鮮ウォンで約1万2000ウォン=約9000円・当時)を持って行った。

急流に耐えて 自由の地・中国延辺地区に向かって、流れの速い豆満江を泳いでいく僕の姿です。 ―デハン(キルスの叔父)
急流に耐えて
自由の地・中国延辺地区に向かって、流れの速い豆満江を泳いでいく僕の姿です。 ―デハン(キルスの叔父)

 

ぼくたちが豆満江に到着した時、何日か前に降った雨のため、水かさが増していた。川の水はまっ黒で、流れも急であった。
ぼくたちは服を首に巻きつけ、パンツだけで川に入った。最初は腰くらいまでだった川の水は、川のまん中辺りになると首までつかった。水の流れがとても速く、溺れそうになった。首に巻きつけていた服もすべて濡れてしまった。
(つづく)
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