◆空に拳を突き上げ、「がてぃんならん!」
沖縄で「屈辱の日」と呼ばれる4月28日、政府は「主権回復」を記念する式典を開催した。沖縄を切り離し、米軍に差し出して実現した「独立」を祝うという政府の姿勢に抗議し、沖縄でもこの日、大規模な集会が開かれた。象徴的に掲げられた言葉は「がってぃんならん」。納得できないという意味のウチナーグチだ。その怒りと不信は、政府だけでなく、それを許す日本の社会にも向けられている。(ラジオフォーラム 栗原佳子)

「屈辱の日」沖縄大会。「がってぃんならん!」と拳をつきあげる参加者たち

「屈辱の日」沖縄大会。「がってぃんならん!」と拳をつきあげる参加者たち

 

◆「いつも沖縄は交渉の道具」
「サンフランシスコ講和条約は、日米安保条約と、それに基づく日米地位協定がセットです。地位協定で県民の人権が蔑ろにされている中、何が主権回復なのか。政治に携わるものは、歴史に学ばずして、これからの日本のビジョンなど立てられるはずがありません」

集会では、名護市の稲嶺進市長もストレートな言葉で政府への怒りをあらわした。今年1月28日、稲嶺市長ら県内41の全市町村長と議長らは東京に赴き、安倍総理に異例の「建白書」を手渡した。要求はオスプレイ配備撤回と県内移設断念。しかし「オール沖縄」による断固とした意思表示も政府は全く意に介さなかった。3月22日には辺野古「移設」のための公有水面埋め立てを抜き打ち的に県に申請した。

安倍総理が「主権回復」式典開催の意向を明らかにしたのが3月7日。沖縄で批判の嵐が吹き荒れている真っ只中のことだ。
辺野古「移設」、オスプレイ配備、最近では八重山の日台漁業協定――。稲嶺市長はそれらを列挙し、こう声を振り絞った。
「いつも沖縄は交渉の道具です。ありんくりん、がってぃんならんことが多すぎます。ちゃーすがうちなー(いろいろ、合点のいかないことが多すぎる。沖縄はどうするのか)。黙っていては、認めたことになるのです。声も出さないと行動もしないとならんのです。ならんしぇーならん(ダメなことはダメ)。しーびちやしーびち(やるべきことはやる)。我々はこれからも、みんなで心を一つにして頑張りましょう」

抑えきれないように噴出する沖縄の方言(沖縄では「島くとぅば」といわれる)。翌日の沖縄タイムスには、「がってぃんならんという気持ちは日本語ではうまく表現できない」と記者団に説明したという稲嶺市長の言葉が載っている。同日付社説には「腹の底から怒りがわく場合、土地の記憶や体験に根ざした島くとぅばが出てくる。その思いがストレートに伝わり、会場には終始、指笛が鳴り響いた」というくだりも。実際、この日の登壇者で、方言を交えて思いを表現した人は何人もいた。

バナーやボードに思い思いの言葉を記す人たちが多かった。こちらは日本への離縁状。「日本国へもの申す! もはや親でもなければ子でもない」

バナーやボードに思い思いの言葉を記す人たちが多かった。こちらは日本への離縁状。「日本国へもの申す! もはや親でもなければ子でもない」

 

◆「屈辱の日」集会翌日に、オスプレイ追加配備確認
この日は雲一つないような好天に恵まれた。集会の最後、全員が青い空に拳を突き上げ、「がってぃんならん!」と5回、力強く唱和した。
しかし、その翌4月29日の防衛相会談で日米は、オスプレイ12機をこの夏、普天間基地に追加配備することを確認した。東京の政府式典で、とってつけたような「沖縄の辛苦に思いを寄せる努力」を口にした安倍総理の、舌の根も乾かぬうちに。

集会の前後、参加者に感想を聞いて回った。「安倍総理の美しい国づくり、憲法改正のための布石」だと警戒する声が多く聞かれた。沖縄を愚弄し続けてきた日本政府はもちろん、それを支える「ヤマト」に対する憤りを、次のように率直に口にする人も少なくなかった。
「日本人が勝手に祝いたいなら祝えばいい」
「私は4・28を祝えないし、それと同じで、5・15も祝えない。辺野古新基地計画や高江のヘリパッド建設をとめて、祝うことにしたい」

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