●激減した相談、減らない飛散事故
だが、テレビ報道と新聞の全国版への掲載が減り始めると、目に見えてこうした相談は減ったという。クボタショックから1年もすると、問合せの電話もたまにかかってくる程度になり、現在では年に数十件だけだという。東日本大震災後に宮城県仙台市で相談会をしたときなど、1件もこうした問い合わせがなかった。
2005年6月末のクボタショックによりアスベストが再び社会問題化し、注目を集めるようになってから8年が過ぎた。

なぜ今さら──。2005年のクボタショックによって大きな問題となった結果、きちんと対策が取られるようになったのではないかと思われるかもしれない。ところが、それがまったく違うのだ。

当時、一時的に大騒ぎになったものの、労災補償が受けられないアスベスト被害者のうち、中皮腫と肺がんの発症者に対し、約300万円の「救済金」を支払う救済制度が出来た程度(のちにごく一部の石綿肺も対象に追加)で、それ以外の問題はほとんど先送りにされてしまったというのが実態だ。

ところが、石綿被害者救済法の成立から少しすると、大手マスコミの興味は急速に薄れていった。今ではテレビがアスベストをめぐる問題を報じることはほとんどなくなり、ディレクターなどと話しても「昔やったな」との感想しか聞かれなくなった。新聞でも全国ニュースとして記事が載ることはめったになくなった。せいぜい地方欄に申し訳程度の記事が載るくらいである。すでにアスベスト被害者やその家族、遺族が「アスベスト問題を風化させてはならない」と叫ばざるを得なくなって久しい。だからこそ、いま市民がアスベストから「自衛」する手段が必要なのだ。

実際にアスベストが飛散するような工事が減っているかといえば、むしろ逆だとアスベストセンター事務局長の永倉冬史氏は話す。2012年7月、環境省石綿飛散防止専門委員会の有識者ヒアリングで、同氏はこう指摘した。

「2005年のクボタショックを機に、公共事業のアスベスト除去が急増しました。アスベストの除去の経験のない塗装業者さんなどが数多く参入して、およそ10倍のアスベスト除去業者を名乗る業者が出てきた。

全国の学校を含む公共施設のアスベスト調査が一斉に行われ、それに伴って、日本中でアスベストの除去業務が始まりました。2005年、2006年の夏休みを中心に、学校のアスベストがどんどんやみくもに除去されていったわけですけれども、(除去業務に必要とされる)石綿作業主任者講習を受けただけの未経験業者が除去工事を行った。このことで、実は全国的に飛散事故が発生していると私たちは考えております。

マスコミなどでも報道された(新潟県)佐渡の両津小学校の漏えい事故などは氷山の一角です。

それから2007年以降、公共事業が急速に減少して民間工事の割合が増加してくる。その中で競争が激しくなって、工事単価がどんどん下落していった経緯があります。アスベスト対策工事の工事単価が下落するに従って、安全対策を維持するに満たない金額での受注、平米当たり1万5000円とか、そのくらいかかる工事が、数千円から、最近では平米当たり3000円とか、そんな価格にまで下がっていると聞いております。

ゼネコン入札の大規模解体工事に先行するアスベスト除去工事などでは、下請け、孫請けなど2次、3次の業者が工事単価を圧縮され、安全な工事が確保出来ないという声をあちこちから聞いております」

2005年のクボタショック直後に行政があわてて実施した学校や公共施設のアスベスト除去のかなりの部分が、アスベスト除去工事の経験のない「にわか業者」によるずさん工事だった。

そして2007年以降は、官需が一段落して工事件数が激減したうえ、民需に移ったことで工事単価の引き下げ圧力が強まり、しかも業者数が多いことから起こったダンピングによってそれに拍車がかかるという悪循環が起きた。その結果、無理な価格でも受注せざるを得なくなって手抜きが起こったり、無理な工期で請け負ったりして、飛散事故がより頻発することになったというのだ。
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