京大原子炉実験所の今中哲二さんは、9月末に大阪市内で行われた講演会で、「福島の子どもたちを守るため最低限必要なのは、子どもたちの登録制度をつくり、被ばく量を見積もり、定期健診で追跡調査をすることだ」と訴える。【鈴木祐太、栗原佳子 新聞うずみ火】

京都大学原子炉実験所の今中哲二さん。講演で「私たちはこれから100年、200年と、放射能汚染に付き合っていかなくてはならない」と話した。(2014年9月大阪市内にて撮影・樋口元義)

京都大学原子炉実験所の今中哲二さん。講演で「私たちはこれから100年、200年と、放射能汚染に付き合っていかなくてはならない」と話した。(2014年9月大阪市内にて撮影・樋口元義)

◆「白装束」何も語らず

今中:
3月28、29日に飯館村に入りました。とにかく驚きました。村全体、信じがたいくらいの大変な汚染で、長泥地区は毎時30マイクロシーベルトありました。私たちが呆然としている隣で、じいちゃんばあちゃんが普通に暮らしていました。

土を持って帰り測定すると、15日がどれくらいの汚染か逆算できました。150~200マイクロシーベルトです。去年、長泥地区の人に聞いたのですが、「15日に白装束の人がわっと来て測っていたが、数字を教えてくれなかったんだ」と。

日本中からそういうのが来ていて、知っている人は知っていた。でも結局、何もされず放ったらかしで、彼らはそこで何カ月も暮らさざるをえなかった。  私は当時、「連中、データ隠しよったな」と思いました。でもいまは、原子炉と同じく原子力防災システムもメルトダウンしたと判断しています。

結局、誰も責任を取る気がなく、責任逃れをしていたというのが実態だと思います。健全なシステムがあれば、どれくらいの汚染レベルで、住んでいていいのか避難するべきか、速やかに判断ができたはずです。

私は、こういう問題は原子力安全委が責任を持って対応すべきだと当時も今も思っています。安全委には緊急事態に備えた助言組織がありました。知人が 何人もいるので、当時何をしていたか聞きました。「とにかく自宅待機していなさい」ということだったと。全く機能してなかったのです。
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