カエリチャとは、ケープタウン周辺に点在するタウンシップのひとつだ。タウンシップとは、南アの人種隔離政策アパルトヘイトが行われていた時代に、有色人種専用の居住区として設けられた、旧黒人居住区を意味する。アパルトヘイトは94年に終えられたが、タウンシップは現在も存在し続けており、旧黒人居住区の総称としての「タウンシップ」という言葉も使われ続けている。ケープタウンだけではなく、ヨハネスブルグ、ケープタウン、ダーバンなど大都市の周辺部にも、小・中規模都市の周囲にもタウンシップが数多く存在し、居住の自由が保障された94年以降でも、低所得者を中心とする多くの人々が、タウンシップに暮らしている。タウンシップに暮らす人々のほとんどは、今も、黒人層だ。

カエリチャの街並み。(カエリチャ・南アフリカ 2017年/Khayelitsha,South Africa 2017 撮影:岩崎有一)

南ア国内を陸路移動していると、タウンシップを何度も何度も通り過ぎる。こじんまりとした美しい街並みを抜けてしばらくすると、トタン屋根を伴った粗末な平家づくりの家々が、ぎゅっと寄り添って立ち並ぶ集落が目に入ってくる。集落の周囲は鉄板やコンクリート片、有刺鉄線で囲われており、その集落へアクセスする道は、主だった国道に直接は繋がっておらず、すぐそこに見えるのに、ぐるりと遠回りしながらたどり着くしかない。遠目に見ると碁盤の目のように家が並んでいるように見えるタウンシップもあるが、タウンシップ内を通る道には主要道と補助道路という強弱はつけられておらず、行き止まりの道も多い。集落を取り囲む壁も、国道からのアクセスの悪さも、集落内の移動のしにくさもすべて、これら居住区に暮らす人々の導線を妨げることで管理をしやすくするために、わざわざこのように作られたのだと、あちらこちらで聞いた。

南アを何度も訪れながらも、南ア社会をより深く知りたいと思っていながらも、私はこれまでタウンシップを訪れたことはなかった。やめたほうがいいと、言われ続けてきたからだ。
「独りで行くのは勧められない」「自分だったら行かない」「危なすぎる」「南ア生まれだけど行ったことがない」など、私がタウンシップに関心があることを現地で話してみても、反応は散々なものばかりだった。また、白人層だけでなく、黒人層の反応もまた、私がタウンシップを訪れることには賛成できないというものがほとんどだった。
タウンシップを訪ねるスタディツアーはあるのだが、行くのならば、独りで行きたかった。観光客向けに整えられた側面ではなく、ありのままのタウンシップを見たかった。

今回私は、ケープタウンを再訪するにあたり、ケープタウン周辺のタウンシップについて現地の報道や地元情報誌の記事を読み進めていく中で、タウンシップ内にも宿泊施設があることを知った。ケープタウンでは、タウンシップのひとつであるカエリチャに滞在することを決め、メールで予約。現地とのメールでのやりとりは、実にスムーズなものだった。私が外国人であることは先方も承知であり、本当に危ないところなのならば、予約の際に注意されたはずだろうとも考えていた。

ケープタウン周辺には大小いくつものタウンシップがあり、それぞれに特色がある。私が今回滞在したカエリチャは、1985年に形作られた、ケープタウン最大級の比較的新しいタウンシップだ。この町は今も日々成長を続けており、変化の著しい、活気溢れる地域として知られている。ケープタウンの中心部までは30キロほど。朝夕は何キロもの通勤ラッシュが発生する。東京都江東区ほどの面積に約39万人の人口を抱え、住民の98パーセントが黒人層から構成されている。

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