羅津の闇市場に入った筆者に鋭い眼差しを向ける男性。大飢饉最中の1998年3月撮影石丸次郎

◆闇市場には「無いものが無い」

羅津先鋒(ラジンソンボン)市の外貨の交換レートは、当時、中国元とは固定されていて100ウォン=4元。日本円とは相場が毎日変動し100ウォン=63~67円だった。闇両替は一度も見かけなかった。また羅津先鋒市では外貨交換用紙幣は流通していなかった。

ちなみに招請元の機関の男性(30歳)の給料は3000ウォン。他地域では幹部クラスですら200ウォンがやっとだというから、破格の高給のように映るが、羅津先鋒市では政府職員といえども配給はなく、すべて市場価格で物を買わなくてはならないので、「生活は楽ではない」とこぼしていた。

北朝鮮では2002年7月になって、国定の食糧価格と給与の大幅引き上げ、企業所の裁量拡大を柱とする新経済措置が実施されたが、私が訪れた98年当時の羅津先鋒市では、この新措置が先行実施されていたともいえる。

闇市場で買ったパン。上が5ウォン、下が小豆入りの10ウォン。撮影石丸次郎

◆闇市場に並んでいるモノ

闇市場には住民が多様な品を持ち込んで売っていた。確認したものを挙げてみよう。1ウォン=0.65円を目安に計算してみると当時の物価水準が分かりやすい。

パンは1個5ウォン、ほんの少し小豆の入ったものだと10ウォン(食べられた)。みかん2個が5ウォンから(中国産)。傷んだりんごが1個15ウォン。餡入りの餅米を揚げたものは5ウォン(まずい)。
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