越境してきた子供たちの身長を計る。1999年8月に延吉市内で撮影石丸次郎

 

◆小さな越境者たち

98年の初頭から子供だけで豆満江を渡ってくるケースが急増した。そのほとんどは、両親、あるいは片親が死んだり行方がわからなくなってしまった子供たちだった。物乞いで金を稼いでまた北朝鮮に戻る還流型が過半数で、たくましくも、大人にかわって出稼ぎに来ているという意識を持っている子供が多かった。

また一方で、北朝鮮で暮らしていくことができず、中国に住み着くために越境した小さな難民たちもいた。保護するべき大人が家にいない場合と、「北朝鮮では暮らせないから、お前だけでも中国で生き延びろ」と親に送り出された場合があった。

5、6歳ほどの幼い子供もやってくる。小さい子供の場合は川が完全に凍結する冬季の渡河が多いが、123歳にもなると子供同士で泳いで渡ってくるのだから恐れ入る。

子供が越境してきても、中国側住民はもちろん、国境警備の辺防部隊、警察もいたたまれない気持ちになり、当初はほぼ黙認状態だった。逮捕しても処理が面倒くさい、大きな犯罪は起こさないという面もあったのだろう、「早く帰れよ」と注意する程度で見逃していた。

しかし、98年の夏ごろになると、延吉、図們などの、韓国人、外国人の観光客の集まる場所や、教会の周囲に、数十人がたむろして白昼堂々と物乞いをするようになった。そうするうちに、延吉空港の到着ロビーで韓国人に群がってお金をせびるという光景まで見られるようになった。

子供たちの集金力は大したもので、観光客に「北朝鮮から来ました、助けてください」と声をかけ510元ずつもらう。なかには100ドル紙幣を与える外国人もいる。100ドルは中国の地元労働者の月収に匹敵する額だ。

地元の中国人は「子供らは私たちの5倍以上稼ぐ」と複雑な気持ちで見守っていた。もっともこれも観光客の多い夏の間だけで、季節が寒くなってくると、一人の観光客に十数人で群がってお金を奪い合う光景も見られるようになった。

子供たちは大半が男児で、年齢の近い少人数のグループを作って昼は物乞い、夜は建設工事中のアパートや橋の下、オールナイト営業のビデオ映画館などで寝起きしていた。
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