◆タブー粉砕に動いた娘 その時オモニは?

さて、ところでヤンさんの映画作りについてオモニ(母)の反応はどのようなものだったのだろうか? 長く総連の女性組織で活動し、金日成賛美の歌を愛唱し、三人の息子を北朝鮮を信じて送った人である。娘が総連のくびきを離れ、突破の覚悟を固めていく姿をどう見ていたのか?

「ディア・ピョンヤン」の時、母は『家族の記録でもあるので、映画で残してくれてありがとう』と言ってくれたんですが、『それにしても、あんたもしんどい生き方するなあ』とも言われました。もうちょっとふわふわした可愛らしい恋愛もんでも撮ってたら、平壌の家族にも引き続き会えるし、総連組織から文句も言われないのにと」

――ややこしい問題が起こるからやめなさいとは言わなかったですか?

「逆です。一度もやめろと言ったことはないです、うちの両親も北にいる兄たちも。私が北朝鮮に入国禁止になったことを、母はすごく怒っていました。映画に文句があるのなら、直接作った人間に伝えればいいだけの話なのに、総連は私には何も言ってこない。鶴橋の実家に怒鳴り込んでくる人はいましたよ。名前も名乗らず母にすごく攻撃的な電話をかけてきた人も。『名前も言わへん! でも誰なのか、声を聞いたらすぐ分かったわ。ほんま情けない人らや』って笑ってました」

「スープとイデオロギー」で、時代と政治に翻弄された母を描いた。撮影井部正之

◆映画「かぞくのくに」

2012年に封切られたヤンさん初の劇映画「かぞくのくに」は、映画監督としての覚悟がさらに突き抜けたことを示す作品だった。

平壌に住む末兄が1999年に病気治療の名目で奇跡的に日本に来ることが許されたものの、わずか1週間で帰還命令が出され、治療もままならないまま日本を離れることになった実話をもとに作られている。兄が日本に戻るのは実に28年ぶりだ。その貴重な時間を緊張したものにさせたくないとヤンさんは考え、カメラを一切回さなかった。

北朝鮮からの監視役とリエが対峙する場面。映画「かぞくのくに」より

舞台は兄を迎えた大阪の実家だ。妹であるヤンさん役=リエを安藤サクラさんが演じた。劇中、兄の監視役として北朝鮮から付いてきた男(ヤン・イクチュン)が、兄を平壌に返すために車に乗せようとするシーン。

「あなたも、あの国も大嫌い!」 ヤンさんはリエに、そう叫ばせている。

「母にあのシーンを見せるのは辛いな、思い出してすごく泣くやろなぁと思っていました。ところが泣かなかったんです。『オモニ、涙出へんかったん?』って聞いたら、『あんたはほんまに怒ってたんやなあ』と。それで『もう分かった、あんたの仕事には一切口出しせえへん。体だけは気をつけなさい』と言って、毎月あの参鶏湯のスープを東京に送ってくれました」

「スープとイデオロギー」の一場面。母は新しい日本人の連れ合いを迎える日、特大の参鶏湯をこしらえた。(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi

◆ヤン監督の覚悟

在日であれ、日本人あれ、北朝鮮のことを描くとどこかからか石が飛んでくるものである。ヤンさんの場合は自分にだけでなく、家族にヤリが降って来るかもしれない。どう受け止めていたのだろうか?

「映画のことを兄たちに伝えたら、『ヨンヒは好きなことやっていい』と言ってくれました。それでもう、我慢するのは嫌だ、撮りたいものを撮って、言いたいことを言う。私は絶対に我慢せえへん。そう決めたんです。

私は6人家族で、日本で暮らしている両親も含めて5人が北朝鮮の体制の下で生きたようなものでした。6人のうちひとりくらいは、言いたいこと言ってもいいのではないか、オモニの分も、兄たちの分も。

在日を扱った作品はあるけれども、北と密接につながった生き方をした在日を正面から捉えた作品はありませんでした。もっとそういう作品が出ないとあかんと思います」

のっぴきならない覚悟が詰まった言葉だ。葛藤に苦しみ、壁を突破する度にそれは研ぎ澄まされていったに違いない。私はヤンさんに凄みすら感じたのであった。

ヤンさんは母が経験した4.3虐殺の記憶をたどるべくともに済州島を旅する。「スープとイデオロギー」より。(C)PLACE TO BE, Yang Yonghi

※ヤン ヨンヒ監督の名作「ディア・ピョンヤン」と「愛しきソナ」のデジタル・リマスタリングのためのクラウドファンデイングが始まっています。
https://motion-gallery.net/projects/yangyonghi777

 

ヤン ヨンヒ監督プロフィール
大阪出身のコリアン2世。米国NYニュースクール大学大学院メディア・スタディーズ修士号取得。高校教師、劇団活動、ラジオパーソナリティ等を経て、1995年より映像の世界に。ドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』(05)は、ベルリン国際映画祭・最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)、サンダンス映画祭・審査員特別賞ほか、各国の映画祭で多数受賞し、日本と韓国で劇場公開。自身の姪の成長を描いた『愛しきソナ』(09)は、ベルリン国際映画祭、Hot Docsカナディアン国際ドキュメンタリー映画祭ほか多くの招待を受け、日本と韓国で劇場公開。脚本・監督を務めた初の劇映画『かぞくのくに』(2012)はベルリン国際映画祭・国際アートシアター連盟賞(CICAE賞)ほか海外映画祭で多数受賞。さらに、ブルーリボン賞作品賞、キネマ旬報日本映画ベスト・テン1位、読売文学賞戯曲・シナリオ賞等、国内でも多くの賞に輝いた。著書にノンフィクション「兄 かぞくのくに」(12/小学館)、小説「朝鮮大学校物語」(18/KADOKAWA)ほか。

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