経済的に余裕のある家庭の子供たちは、夏休みにスポーツクラブに通わせてもらい、そこで特定のスポーツの魅力に触れ、中には素質を見出される子供もいるだろう。だが、基本的には、一つのスポーツの裾野は非常に狭く、したがって、世界レベルの実力を持った選手が現れる可能性も低い。

数少ない例外は、小さな頃から身近にあるサッカーと、比較的ジムが多い格闘技系、また、地域に根付いた伝統的道場ズールハーネによるコシティー(レスリング)や重量挙げぐらいである。
イランでは、小、中、高、どこの学校にもプールはない。この国で、オリンピックの出場基準を満たす水泳選手が現れること自体、奇跡に近い。

アリレザイー選手は昨年、オリンピック出場を目指して、祖国を離れ、一年間に及ぶクロアチアでの合宿に望んだ。彼が先月、クロアチアのドブロブニクで行なわれた国際大会でオリンピック出場資格のタイムを出し、イラン水泳界初のオリンピック出場選手となった直後の喜びのインタビューが、今もBBCのサイトに残されている。長いそのインタビューの最後は、こう締めくくられていた。

「水泳のおかげで人生も学業も遅れてしまった。みんなは卒業したけど、僕は今も2年生だ。練習で勉強どころでじゃかった。(イラン水泳連盟の)上の人たちもきっと色々事情を抱えているだろうけど、僕だってこれだけがんばったんだ。イラン水泳界の設備や環境がもっと整えられ、より注目を浴びることを期待したっていいだろ?」

国際大会でイスラエル人選手との対戦を放棄したイランのスポーツ選手は、美談と称賛の対象となる。帰国の折には、空港で花束とともに政府高官の出迎えを受けるのが常だ。わずかだが報奨金も支払われる。
それらは果たして、一人のオリンピック選手にとって、その才能と努力と無念に見合うものなのだろうか。(おわり)

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