アパートの目の前の公園。行けば必ず誰かが声をかけてくれる(イラン/テヘラン・2008年 撮影筆者)

 

◆息子の成長と異変

言葉の発達が遅かった息子も、3歳になるころには色々と生意気なことを口にするようになっていた。妻は日本から取り寄せた幼児向け通信教材で根気よく日本語を教えていたし、就学前の子どもを持つ日本人母の会・バッチェミーティングでも、同年代の子どもたちと事あるごとに遊ばせてきた。妻が講師をしていたテヘラン日本語補習校の廊下で、母親たちが行なっていた幼児向け日本語教室も役に立っていたのかもしれない。

とはいえ、日常生活では家族以外と日本語で話す機会がほとんどなく、テレビを付けても外国語ばかり。好きな番組は衛星放送で観られるアルジャジーラ・キッズチャンネルのアラビア語版『おさるのジョージ』や『In the night garden』。そんな環境だから、放っておいたら言葉の遅れは取り戻せないと、特に妻は息子の日本語教育に熱心に取り組んだ。その甲斐あって、3歳を過ぎる頃から急速に語彙が増え、まるで堰を切ったかのようにおしゃべりを始めた。
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ところがある日、いつものように公園の遊具で、同じ年頃のイラン人の女の子と遊んでいた息子が、しばらくすると冴えない表情で妻のもとへと戻ってきて、腹立たしそうにこう言ったという。

「何言ってるか分からないんだよ!」

その話を妻から聞かされた私は、そういうことかと合点がいった。息子が最近、知らないイラン人の大人や子供から声を掛けられても、挨拶を返さなかったり戸惑いを見せたりするようになっていたからだ。ペルシャ語で挨拶ぐらいは出来るはずだから、単に恥ずかしがっているだけだろうと勘違いしていた。

「いろいろ覚えて、話したい気持ちが増している時期だから、よけいに腹立たしいんだよ」

妻のその言葉にはっとした。息子の日本語のことばかり考えていた私たちにとって、これは盲点だった。
これまでは言葉など要らなかった。公園では出会ったばかりの子どもたちと、おいかけっこをしたり、ハグしたり、笑いあったり、子犬がじゃれあうように遊んでいた。誰とでも友達になれたし、どこに行っても優しいイラン人たちに囲まれ、楽しそうに見えた。

しかし、そんな幸せな時間も、彼が言語というものを意識し始めた以上、もう長くは続かない。続かせようと思うなら、しっかりとペルシャ語を学ばせなければならない。イランの幼稚園に入れ、ゆくゆくはイランの公立小学校に入れることになるだろう。だが、そこまでの選択を息子に強いてまで、私自身に、イランに居続けたいという強い意志が果たしてあるのだろうか。
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