◆胃の痛い日々

2009年6月。大統領選挙の投開票を機にイラン全土で騒乱が発生してからというもの、妻には外出を極力控えるよう言っていた。それまでは、子供を連れて市内どこへでも自由に出かけていた妻だったが、しばらくは用心するに越したことはない。仲の良い日本人のママ友の家に遊びにゆくにも、バスで主要なロータリー広場を経由しなければならず、そうしたロータリーは常に抗議デモの舞台になっていたし、いつ小さな小競り合いが起きてもおかしくないからだ。

ペルシャ湾産の謎の小魚で妻がこしらえた干物。あぶって食べると美味だった。

ペルシャ湾産の謎の小魚で妻がこしらえた干物。あぶって食べると美味だった。

外出を控えるようになってからは、妻は家での時間を充実させようと努力した。ちょうど旬を迎えていたサワーチェリーを市場で大量に買ってきてコンポートを作ったり、やはり大量に買ってきた名前も知らない小魚で干物をこしらえてみたり、糠漬けを漬けたり、放置されていたグリルに初めて火を入れ、ピザを焼いてみたり、五平餅のようなものを焼いてみたり……。

それでもストレスはたまる一方のようだった。同じアンパンマンやしまじろうのDVDを繰り返し見ている幼い息子も気の毒だった。妻は夕方になると息子を連れてアパートの屋上に上がり、夕涼みをするのが日課となっていた。だが、そんなカゴの中の鳥のような生活に何週間も耐えられるはずがない。

そんなある日、私が職場から帰宅すると、妻が何やらもの言いたげに私を見る。聞けばその日、仲の良いママ友に電話をしたところ、その友達が翌日から家族でカスピ海沿いのリゾート地に旅行に行くと聞かされたという。「この非常時に旅行?!」と最初は驚いたそうだが、よくよく聞けば、情勢が少し落ち着いたこともあり、これまで外出を控えてストレスをためていた奥さんを労おうというご主人の意図でもあった。うらやましい、と顔には出しても、口にはしない。私が急に休暇を取ることができないことを妻も承知しているのだ。

「というわけで、私も家でじっとしているのはもうやめる。あまり遠くには行かないし、出かけるときはちゃんと事前に相談するから。いいよね」

私は迷いながらも頷いて見せた。7月に入って街は一見平穏を取り戻していた。大きなデモが起きるとしたら、必ず事前に周知されるから、そのような日さえ外出を避ければ、もう問題はないのかもしれない。6年イランで暮らした妻の判断力を信じ、自由に外出をさせることにした。

子どもと二人、家にこもりきりの妻のストレスは想像に余りあるものだったが…

子どもと二人、家にこもりきりの妻のストレスは想像に余りあるものだったが、私もこのころ相当のストレスを抱えていた。夜中の2時、3時ごろになると、急に胃の辺りが鈍く痛み出し、そのうち身をよじるほどの激痛に変わり、あぶら汗を流しながら耐えていると、明け方近くになってようやく痛みが引いていく。そんな夜が何日も続いていたのだ。病院で胃の検査を受けたが異状はなく、ストレスが原因なのだろう。

選挙当日までの平穏な日々が、突如戒厳令下のように変わってしまったテヘラン。目まぐるしく展開し、刻々と変わってゆく情勢を追うことで手一杯な自分。日本のメディアから街頭レポートを依頼され、快諾した三日後には、とてもそんなことが出来る情勢ではなくなり、当日になって依頼をキャンセルしたこともあった。先方は「現場の判断」に理解を示してくれたが、私を臆病者だと言う人もいた。

新聞は毎日のように政治家やジャーナリストの逮捕のニュースを報じたが、メディアに載らない逮捕・拘禁者の数は計りようもない。外国メディアの通訳やコーディネートをしたことがあるというだけで拘束されたイラン人も多く、日本メディアに協力したことがある友人のイラン人も、いつ自分が逮捕されてもおかしくないと怯えていた。

私自身は、自分が逮捕される可能性は今のところないと踏んでいた。昨今の騒乱について日本のネットメディアに記事を送っていたからといって、その程度でイラン当局が動くとは思えない。なぜなら、欧米人でない私を逮捕しても、さしたる利用価値はないからだ。

それでも、街頭レポートをしたり、デモの現場で撮影したり、もしくは現体制をあからさまに否定する内容の記事を書き続けたりすれば、目障りとばかりに捕まって、国外退去程度の処分を受ける可能性は十分にある。そのとき、私と家族はそれでもいいが、私と付き合いのあったイラン人はどうなるだろう。私の職場の同僚たちはどうなるだろう。昇進目指してこつこつと努力を重ねている上司のキャリアはどうなるだろう。これまで良くしてくれた人たちの人生に傷をつけ、恩を仇で返してイランを去ることだけは避けたいと思っていた。

そんな矢先のことだ。アパートの出入り口にある、私の号室に通じる呼び鈴の横に×印がついているのを発見したのは。誰が、何のためにこんな印をつけたのか。友人知人、そして毎朝私を迎えに来る会社のピックアップタクシーの運転手たちにも訊いてみたが、誰もそんな印はつけていないという。デモからの帰路、あとを付けられていたのか。「お前のしていることは全部知っている。いつでも逮捕できるのだぞ」というメッセージに思えてならなかった。

だからと言って、四六時中不安にさいなまれて暮らしていたわけではなく、むしろ、普段と変わらぬ平常心で日々を過ごしていると自分では思っていた。心の片隅に小さな不安を抱え持っているだけで、毎夜胃痛に悩まされるほど、自分がデリケートな人間であることに正直驚いていたほどだ。

×印のことは妻には話していない。一度消した×印が再び付けられることはなく、私の思い過ごしかもしれないからだ。わざわざ話して、妻まで不安に引きずり込む必要はない。家ではいつも強気で笑顔の妻でいてほしかった。

8月になり、私たちは年に一度の一時帰国のため、砂漠の熱風吹きすさぶ郊外のイマームホメイニ空港へ向かった。日本滞在はたいてい2週間ほどだが、今回、妻と息子には少し長めに日本に滞在してもらい、私一人、一足先にイランに戻り、情勢を見極めてから二人を呼ぶつもりでいた。9月には「世界ゴッツの日」(※)があり、その後も秋から冬にかけて年中行事が続くからだ。それらに乗じてデモ、騒乱が再発する可能性が十分にあった。

※世界ゴッツの日
イランイスラム共和国の創始者、故イマーム・ホメイニー師が世界に呼びかけた、パレスチナへの支持を表明するための記念日。「ゴッツ」とはイスラエル占領下のエルサレムを指す。イランではこの日、全主要都市で反米、反イスラエルを叫ぶ大規模な行進や催しが行われる。

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