イランの革命記念日で、最高指導者のポスターを自転車に取り付けていた男性(撮影筆者/2010年)

イランの革命記念日で、最高指導者のポスターを自転車に取り付けていた男性(撮影筆者/2010年)


◆イスラム革命勝利31周年記念日

激しい衝突の起こったアーシュラーからおよそ1カ月半、早くも次の機会が訪れていた。例年ならお祭り気分の漂うイスラム革命勝利記念日。政府は全ての政府機関と公的機関の職員、その家族を動員し、パレードへの参加を国民に呼びかけている。一方、改革派もこれに乗じて抗議デモの開催を呼びかけていた。事態のなりゆきを内外が注目していた。

2月11日、イスラム革命勝利31周年記念日の朝を迎えた私は、およそ5カ月ぶりにイランに戻ったばかりの妻と子に笑顔で手を振り、家を出た。今日は勤め先の放送局の仕事としてパレードを取材することになっていたから、取材許可証を持たされていた。怖いものなしだ。

毎年、革命記念日のこの日は、イラン全土の市町村で様々なイベントが催されるが、首都テヘランでは市街7箇所からスタートしたパレードが、市街西部にあるアーザーディー広場の終点を目指す。そして同広場で昼前に行なわれる大統領の演説を大歓声で盛り上げ、すべてのプログラムが終わる。

朝10時、私は多くのパレードが通過するエンゲラーブ広場に到着した。直径100メートルほどの広場の周囲には、飲み物やお菓子、子供向けの冊子やCDなどを無料で配布する様々な機関、団体のブースが軒を連ね、民族音楽のステージや革命時の写真展、赤新月社の献血車などがところ狭しと並んでいる。そして、「アメリカに死を!」のスローガンを叫ぶ黒ずくめの体制派市民で賑わっていた。その数に匹敵する治安部隊のものものしい警戒さえなければ、心からお祭りを満喫することができただろう。

「ちょっとちょっと、ミスター!何やってるの?」

携帯電話に自分の声を吹き込んでいたら、さっそく制服の警官5人に囲まれた。首から下げた取材許可証を見せると、少し困惑した様子で解放してくれた。この1枚の許可証がなければ、この時点で拘束、そして国外追放か。人や行動への評価が、お上の許可一つで180度変わってしまうとは何とばかばかしいことだろう。

エンゲラーブ広場を後にし、5キロ先のアーザーディー広場へ向かって歩くことにした。
テヘランを東西に貫くこの目抜き通りは、今日は車両がすべて通行止めとなり、体制護持のスローガンを叫びながら歩く市民のパレードでほぼ埋め尽くされている。その人数は数十万規模。この人出に加え、沿道にはびっしりと治安部隊が待機し、ビルの屋上では銃を構えた要員が目を光らせている。改革派のデモ隊が入り込む余地はまったくない。

そして、私は何度も私服の男たちに肩を叩かれ、道路脇に誘導された。手荒なまねはされない。取材許可証を確認するとすぐに解放された。

古ぼけた自転車に、『アメリカに死を!』のプラカードを取り付けようとしている老人がいる。写真を撮っていいかと聞くと、「おお!もちろんだ」と笑顔で胸を張り、自転車とともにカメラの前に立ってくれる。

テヘランの高校生だというグループが、楽しげに私を冷やかす。インタビューさせてよと頼むと、緊張した面持ちでマイクの前に立ち、体制への支持と、改革派の「日和見主義者たち」への激しい嫌悪をよどみなく語ってくれる。私が私服警官に連れて行かれると、解放されて戻ってくるまで心配そうに待っていてくれる。

海外のメディアはこの日のデモを、食事とお土産付きの一日バスツアーと称し、テヘラン周辺の村落から村人をかき集めてきただけの官製デモと笑うかもしれない。それも事実だ。でも、純粋に最高指導者やアフマディネジャード大統領、そして法学者の統治というこの国の原則を支持してやまない人たちが、今日この場に馳せ参じているのも事実だ。

彼らは善良な市民である。その一方で、改革派の抗議デモを「暴徒」、「破壊者」、「外国の手先」、「敵」と呼んではばからず、治安部隊の弾圧も支持する。そんな体制派市民と接していると、善悪の区別をどこで引いていいのか分からなくなる。

彼らは、30年前、生まれたばかりの革命政府を守るためイランイラク戦争に従軍し、命をかけて戦った人たちや、その「殉教者」の遺族たち、あるいはそうした価値観を肯定する人たちだ。彼らの人生は、精神的にも経済的にも体制と一体化したものであり、体制が唱える理念は、そのまま彼らの価値観となっている。彼らが往来で何を叫ぼうと、それが体制の枠を超えることはない。

つまり、彼らにとってこのイランイスラム共和国は、完全な思想の自由、言論の自由、表現の自由を可能にした国であるのに等しい。反体制のスローガンを叫んで拘束され、それで言論の自由がないと主張している改革派の抗議デモなどは、彼らにとって理解しがたい存在でしかないのだ。

この国の現状を俯瞰して見れば、改革派と体制派(その両者を代弁する政治勢力)の、どちらが正しくどちらが間違っているという話ではないことが分かる。180度思想の異なる二つの集団が一つ国に住むことが悲劇なのだと考えたこともあったが、それはどの国や集団にも言えることだ。この国の最高指導者ハメネイ師は国家を飛行機にたとえ、奇しくもイスラエルのペレス元大統領は国家を鳥にたとえた。どちらも片翼だけでは空は飛べないと。

それでも、国家の分断を前にしたとき、人はいずれ自分の立場を明確にしなければならない。自分の思想と幸福のために、どちらに付き、戦うのか。私がイランの一市民であったなら、そうしただろう。だが、当事者ではない私はどこに軸足を置くべきなのだろうか。どちらかに軸足を置き、そちらに寄り添い、他方を糾弾すべきなのか。それとも、その埒外に軸足を置き、中立客観に努める記者であろうとすべきなのか。半年以上にわたって数々のデモに足を運び、改革派、体制派双方のやり方、言い分を見てきたというのに、私はまだ自分の立ち位置すら見えていないのだ。 

沿道のスピーカーから、アーザーディー広場で始まったアフマディネジャード大統領の演説が流れ始めた。広場までまだ3キロほどもあり、どうやら今回も大統領の顔を拝めそうにない。

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