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080804_APN_iran_001【夜の公園。深夜0時近くなっても子供たちの歓声が絶えない】(テヘランで/撮影:大村一朗)

街角で見かける日本のケンカは恐ろしい。当事者のどちらかが刺されるんじゃないか、仲裁に入ったらこっちが刺されるんじゃないか、とつい目を背けてしまう。

ここイランでも、よく路上で口論している人を見かける。車の接触など他愛もない原因がほとんどだが、当事者は顔を真っ赤にして、今にも掴みかからんばかりの勢いで、激しくやり合っている。しかし、どちらかが手を出すことは稀だ。いつもその場を取り囲んでいる野次馬がすんでのところで仲裁に入る。そんな暗黙のルールに則って行なわれるイランのケンカは、見ていて全然恐ろしさを感じない。

イラン人にイランのどんなところが好きか、と聞かれると、私はよくそんな話をした。一昔前までは日本にもあったであろう、社会の掟が今も通用しているイラン社会。見ず知らずの相手を殴りつけるということが大きな罪として認識され、集まった野次馬たちがそれを許さない。

そんなイラン社会が好きだ、と私はよくイラン人に語ったものだった。しかし、今誰かに同じ質問をされたとしたら、私はそんなふうに答えるべきか迷うだろう。
というのも、このところ、口論の挙句の暴力をよく目にするようになったのだ。私の周囲でたまたまそういう出来事が続いたからといって、イラン社会はああなった、こうなったと述べるべきではないのかもしれない。

しかし、事は暴力だけではない。毎晩のように、深夜、カーステレオを大音量にして、静まり返った住宅街を流す若者の車。深夜一時過ぎに住宅街のど真ん中でラジカセを大音量にして踊る若者。高速道路でタイヤを鳴らして急ハンドルを切り、車列を蛇行しながら猛スピードで追い越しをかける若者の車。
友人のイラン人は、「おかしな若者がいても注意したりしてはいけないよ、刺されるよ」と真顔で私に忠告する。

急ハンドルで無謀な追い越しをかける車を見て、中年のタクシー運転手は、「狂ってるな。ああいうのは酒か麻薬でもやってハンドルを握ってるんだよ」とため息をつく。

若者が未熟で礼儀知らずなのは全世界共通だ。しかし、イランの若者の昨今の様子を見ていると、日ごろのストレスや鬱憤を吐き出すかのような振る舞いが目につく。

人口の55パーセント以上が24才以下という、圧倒的な若年人口を誇るこの国で、30パーセント以上と言われる失業率のほとんどは、学歴もコネもない普通の若者が占めている。だが、そうした背景は、ずっと何年も前から続いてきたことで、彼らのストレスは今に始まったことではない。
では、私がごく最近感じている違和感や、この国で失われつつある美徳は、何に起因するものなのだろう。ここ1、2年の恐ろしいインフレによる生活への圧迫感によるものだろうか。それとも、多くの西側諸国が経験してきた「発展の代償」と呼べるものなのだろうか。

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