2008/11/16(日) イラン~映画の放映

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映画 『野火』の一場面

いつも帰宅は夜8時頃になる。家に帰ると、とりあえずテレビをつけてみる。テヘランではチャンネルは7チャンネルまであり、すべてイラン国営放送によるものだ。

日本で言うなら、NHKが1チャンネルから7チャンネルまですべて運営しているようなものだ。民放はまだイランにはない。7つのチャンネルには一応それぞれ、教育チャンネル、スポーツチャンネル、ニュースチャンネル、宗教チャンネルなどと区分けがされている。

一通りチャンネルを回してみて、特に面白そうな番組がなければ、ニュースチャンネルをBGM代わりにつけながら夕食をとる。ところが今日は思いがけず、日本映画をやっていた。市川昆監督、大岡昇平原作の「野火」だ。

そう言えば、確か先週のこの時間も、市川昆監督の「ビルマの竪琴」をやっていた。もちろんペルシャ語の吹き替えだが、日本兵たちの合唱の部分はそのままで、イランで聞く日本の名曲の数々につい聞きほれてしまった。「水島、一緒に日本へ帰ろう!」という仲間の呼びかけに、水島上等兵が「仰げば尊し」を弾いて別れを告げる場面には思わず涙が出そうになった。

それはともかく、ここ2、3週間の間で、テレビで偶然見かけ、思わず最後まで見てしまったアジア映画には、「男たちの大和/YAMATO」や、「赤壁・レッドクリフ」がある。レッドクリフは、日本ではまだ映画館で上映されており、なぜイランでテレビ放映がされるのか不思議だ。

ところで、イランのゴールデンタイムの映画放映は、ただ映画を放映するだけに留まらない。映画を始める前の、およそ15分間は、簡単なストーリーと見所、監督や出演者の紹介などが流れ、その映画の予備知識を叩き込まれる。

そして映画が終わった後は、専門家を招いての批評あり、監督のインタビュー映像あり、その映画が後の映画に与えた影響や、その映画が作られた文化的、歴史的背景、演出や技術面での象徴的な各シーンなどの説明が、たっぷり30分は続き、余韻に浸っている暇も無い。

ゴールデンタイム以外に流される映画には、解説も批評も付かない。たいていは芸術性もない、取るに足らない娯楽映画だ。言い換えれば、解説に長い時間を費やす値打ちのある名作や大作しかゴールデンタイムでは放映されないということだ。(「男たちの大和/YAMATO」は世界的名作ではないが、献身と殉教の精神が尊ばれるイランでは、放映する価値があると見込まれたのだろう)。

とにかく、一つの映画をよくこれだけ様々な側面から分析し、解説し、うんちくを垂れられるものだといつも感心する。これは、イラン人の映画に対する情熱と才能の表れではないかと思う。

イランが世界に誇れるもの。それは、お上が音頭を取り、莫大な予算を割き、一部のエリートたちによって国威発揚のために成し遂げられた、国民の日常生活とは無縁の原子力や医療分野での華々しい成果の数々では決してない。誰のお膳立てもなく、イラン人が本来持つ才能と欲求によって成長したイラン映画という文化ではないかと思う。