大村一朗のテヘランつぶやき日記~アーシュラー 2009/01/07

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【鎖で身体を打ちながら街を練り歩く】(撮影:大村一朗)

イランで迎えた2009年の年明けは、ガザでの空爆の激化と、シーア派3代目イマーム・ホセインの殉教月にあたるモハッラム月が重なったことで、「おめでとう」という言葉さえ憚られるような、追悼ムード一色の年明けとなった(もともとイランの新年は3月20日の春分の日なので、西暦の正月はあくまで外国人だけのものである)。

テレビのニュースチャンネルでは、ニュースの傍ら、画面半分にガザからのライブ映像を流し、停電で真っ暗なガザの町に、およそ5分に1回の間隔で空爆の火柱がのぼり、そのたびごとに何人かの人が亡くなっていると思うと、いたたまれない気持ちになる。

家の外では、目の前にホセイン殉教日の追悼儀式アーシュラーのためのテント小屋が立ち、近所の青年たちを中心に、本番に備えて太鼓や行進の練習が始まっている。その太鼓の音たるや、アパートが揺れ、テレビの音もまったく聞こえないほどの大音量で、それが毎晩9時から2時間は続いた。
そしてようやく迎えたアーシュラーの今日、午前10時頃から開始を告げる太鼓の音が鳴り始め、近所の人が集まり始めた。

男たちによる、ダステと呼ばれる行進が始まる。ダステの隊形はあらかた決まっており、先頭は旗持ちの子供たちが、次に神輿のような役割の、アラーマトと呼ばれる剣を横にいくつも並べたそのダステのシンボルが続き、そしてその後を2列縦隊の男たちが並ぶ。

行進のリズムを取るのは、ホセイン殉教の挽歌だ。ダステの中ほどにはスピーカーを乗せた車と挽歌を歌う男がゆっくると進み、その歌声に合わせて、「ドン、ババババッバ、ドン、ババババッバ」とドラムが鳴り響き、2列縦隊の男たちが鎖の束で左右の肩をテンポ良く打ち付けながら、隊列を進めてゆく。

町内をゆっくりと一周したダステは、再びテント小屋の前に戻り、クライマックスを迎える。男たちは輪になって激しく鎖でその身を打ちつけながら、哀歌のリズムと一体になる。何匹もの羊が連れてこられては、のどを掻き切られ、道路一面はおびただしい鮮血に染まる。

預言者ムハンマドの孫ホセインが、わずか73人で蜂起し、3万人のウマイヤ朝軍に立ち向かい、一人残らず惨殺されたカルバラの戦いが再現される。、ウマイヤ軍の大将ヤズィードに扮した若者が、ホセイン軍の緑色のテントを滅多切りにきりつけ、最後にテントに火を放つ。

「ホセインが殺された!ホセインが殺された」
マイクを持った若者が絶叫しながら号泣している。他の男たちも、感極まって泣いている。
私はその日も午後から仕事があり、職場へ向かう。行きの車中で運転手が私に尋ねた。

「あんたら外人から見ると、アーシュラーはどんなものかね」
「興味深いですよ。世界中探しても、こんなに派手なアーザーダーリー(哀悼儀式)は見当たらないんじゃないですか?日本にもお祭りと呼べるものはたくさんありますけど、悲しいお祭りなんてありませんもの」
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