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【護憲評議会は一部の票の再集計の結果を発表。それは改めて今回の選挙の健全性をアピールし、アフマディネジャード大統領の再選を追認するものだった】

テヘランつぶやき日記
大村一朗のテヘランつぶやき日記~そして誰もいなくなった  2009/07/05
6月30日、護憲評議会はかねてから予定していた、全体の10%の票の再集計を行なった。もっとも、ムーサヴィーもキャッルービーも、選挙そのもののやり直しを求めている。護憲評議会は、形式だけでも二人の異議申し立てに応えたという姿を内外に示すために、この一部再集計を行なったのであり、したがって、その結果がどうであれ、6月13日の選挙結果が覆ることはないだろうというのが改革派の見方だった。

そのため、再集計の結果が出る前から、抗議を示すために、テヘラン市街を南北に貫くヴァリアスル通りを人間の鎖で繋ごうという呼びかけが、改革派の間に出回っていた。当局は警戒し、ここ数日、使える時間帯が増えつつあった携帯電話も、この日の昼過ぎからまた使えなくなった。

午後7時半、ヴァリアスル通りを通ると、至るところに警官が立ち、私服の男たちがあちこちにたたずみ、迷彩柄のベストを着たバスィージが闊歩していた。バスィージたちは、デモ隊と混同されないために支給されたのか、揃いの迷彩柄ベストを着込んでいるが、それ以外は、靴もズボンもバラバラだ。ヒューマンチェーンの計画はとっくに当局の知れるところとなり、ヴァリアスル通りには、デモ隊の入り込む隙はもうなかった。

バスィージ(市民動員軍)は、体制お抱えの組織であり、立場上は精鋭部隊・革命防衛隊の下部組織となっている。今回のテヘランでの騒乱では、バスィージ=ごろつきの暴力集団、とった印象が世界中に広まってしまった感がある。

バスィージは、12歳以上なら誰でも入れるボランティアの動員組織で、その事務所は、各地区のモスクや公共機関などに併設されている。週に1度、勉強会があったり、軍事教練まがいのこともする。いわば、宗教的なボーイスカウトのようなものである。今回のようなデモの取締りへの参加も、基本的には個人の自由意思による。

ヴァリアスル広場をグループで闊歩するバスィージの若者たちは、皆、休日に町歩きを楽しむ若者たちのように屈託がない。これだけ味方がたくさんいれば、恐れるものはないのだろう。
この晩、護憲評議会は再集計の結果を発表した。それは、改めて今回の選挙の健全性と、アフマディネジャード大統領の再選を追認するものだった。

それからしばらく、テヘラン市街では穏やかな日々が続いた。その一方で、欧米諸国では、イラン政府のデモ弾圧に対し、イランへの制裁が話し合われた。

イラン政府も、西側諸国からの非難が高まるに連れ、これまでの騒乱に西側諸国とそのメディアが加担したとするキャンペーンを、国営メディアを総動員して繰り広げた。特に、ウクライナやグルジア、キルギスタンなどで西側の支援によって成功した「ビロード革命」を、イランでも起こそうという動きがあったとし、イギリスなどを強く非難し、騒乱を扇動したとして在テヘラン・イギリス大使館の現地職員を逮捕したりした。
国内に生じた亀裂を「海外の陰謀」で片付けてしまうのはイラン政府の常套手段である。もちろん、欧米との長年にわたる対立と、イランの反体制組織MKOの存在が、イラン政府を警戒させるのは理解できる。しかし、テレビカメラの前で、デモの逮捕者に国外勢力との協力を「告白」させるという手法が多くの国民の嫌悪感を呼び起こしていることに、いい加減気づかないものだろうかと思ってしまう。

改革派の支持者らは、街頭に出る代わりに、毎晩決まって10時過ぎになると、アパートの窓や屋上から、「アッラーホ・アキバル!(神は偉大なり)」と夜空に向かって叫ぶ運動を細々と続けていた。しかし政府はそれすらも見逃すつもりはなく、叫んでいるのを見つけ次第、逮捕、投獄すると発表し、この時間になるとバスィージが夜回りに出るようになった。
夜の叫び声は日ごとに少なくなり、私が住む地区では、とうとう三日ほど前から聞こえなくなった。