【アフマディネジャード大統領支持の青年たち。2009年6月の大統領選挙戦で】(撮影:筆者)

テヘランつぶやき日記
大村一朗のテヘランつぶやき日記 ・イスラム革命勝利31周年記念日(2)  2010/02/11
エンゲラーブ広場を後にし、5キロ先のアーザーディー広場へ向かって歩くことにした。
テヘランを東西に貫くこの目抜き通りは、体制護持のスローガンを叫びながら歩くデモ隊でほぼ埋め尽くされている。その数は数十万規模。この人出に加え、沿道にはびっしりと治安部隊が待機し、ビルの屋上では銃を構えた要員が目を光らせている。改革派のデモ隊が入り込む余地はまったくない。

そして、僕は何度も私服の男たちに肩を叩かれ、道路脇に誘導された。手荒なまねをすることはない。取材許可証を確認するとすぐに解放してくれる。
古ぼけた自転車に、「アメリカに死を!」のプラカードをなんとかして取り付けようとしている老人がいる。写真を撮っていいかと聞くと、「おお!もちろんだ」と笑顔で胸を張り、自転車とともにカメラの前に立ってくれる。

テヘランの高校生だというグループが、楽しげに僕を冷やかす。インタビューさせてよと頼むと、興奮気味にマイクの前に立って、体制への支持と、改革派の「日和見主義者」たちへの激しい嫌悪をよどみなく語ってくれる。僕が私服警官に連れて行かれると、解放されて戻ってくるまで心配そうに待っていてくれる。

海外のメディアは、この日のデモを、食事とお土産付きの一日バスツアーと称してテヘラン周辺の村落から村人を大量にかき集めてきただけの動員デモだと笑うかもしれない。それも事実だ。でも、純粋に最高指導者やアフマディネジャード大統領、そして法学者の統治というこの国の原則を支持してやまない人たちが、今日この場に馳せ参じているのも事実だ。

彼らは善良な市民である。その一方で、改革派の抗議デモを「暴徒」、「破壊者」、「外国の手先」、「敵」と呼んではばからず、治安部隊の弾圧も支持する。そんな体制派市民と接していると、善悪の区別をどこで引いていいのか分からなくなる。

彼らは、生まれたばかりの革命政府を守るため、イランイラク戦争に従軍し、命をかけて戦った人たちや、「殉教者」の遺族たち。あるいはそうした価値観を肯定する人たちだ。彼らの人生は、精神的にも経済的にも体制と一体化したものであり、体制が唱える理念や価値観は、そのまま彼らの価値観となっている。彼らが往来で何を叫ぼうと、それが体制の枠を超えることはない。

つまり、彼らにとっては、このイランイスラム共和国は、完全な思想の自由、言論の自由、表現の自由を有した国であるのに等しい。反体制のスローガンを叫んで拘束され、それで言論の自由がないと主張している改革派の抗議デモなどは、彼らにとって理解しがたい存在でしかないのだ。
沿道のスピーカーから、アーザーディー広場で始まったアフマディネジャード大統領の演説が流れ始めた。アーザーディー広場までまだ3キロほどもあり、どうやら今回も生大統領を拝めそうもない。(つづく)