【ホッラムシャフル戦争博物館は、戦前はイギリス系石油会社の事務所として、イラク占領下ではイラク軍現地司令部として使われた。(撮影・筆者 2010/11/07)】

テヘランつぶやき日記
大村一朗のテヘランつぶやき日記 フーゼスターン州への旅(2) 2010/12/07
すでに朝日は高く昇り、車窓には、海のように広がる湿地と、羽を休めるフラミンゴの姿が見られた。列車が終点ホッラムシャフル駅に到着したのは、予定を大幅に遅れた午前9時過ぎのことだった。
駅前に待機していたタクシーの一台に乗り込み、唯一知っているこの町の見所を告げる。

「とりあえず、戦争博物館に行ってください」
イラクとの国境に面したこの小さな町を有名にしたのは、イラン・イラク戦争での凄惨な奪還作戦だ。1980年、イラクの旧サッダーム・フセイン政権は、イスラム革命成立後間もないイランに戦争を仕掛け、瞬く間にこの町を占領した。そのイラク軍を押し返し、さらにイラク領土への反撃に転じるきっかけとなったのが、ホッラムシャフル奪還作戦だった。

今でもイランでは、5月24日をホッラムシャフル奪還記念日として盛大に祝い、当時のイラン軍とそれを支えた義勇兵バスィージの奮闘を称えるとともに、殉教者を悼む行事が行なわれる。一度その町を見てみたいと思っていた。
タクシーは10分ほどで戦争博物館に到着した。正式な名前は、ホッラムシャフル・聖なる防衛文化センター。建物の壁は、砲撃や銃撃で穴だらけになった当時の姿をそのまま残している。

入場料は無料だった。若い兵士と館員が笑顔で迎えてくれ、館員の一人が案内を買って出た。
展示品は主に、作戦におけるイラン軍兵士とその司令官たちの遺品、爆撃と市街戦でほぼ焦土と化した当時の町並みのパネルやジオラマ、当時使われた重軽火器などだ。重軽火器の展示は主に、粗末なイラン軍の武器と、諸外国から全面的な支援を受けたイラク軍の武器とを比較するものだ。イラク軍のそれは、銃器から爆弾、地雷に至るまで、ソ連と欧米諸国製のものがずらりと並び、いかにこの戦争が不公平なものだったかを物語る。

「この写真を見てみろ。市街戦では町の住民が狩猟用の銃を手に戦ったんだ。俺達はこんな、一発撃ったら次の一発まで手間がかかるような代物で、イラク軍の近代兵器を相手に戦ってたんだ」
モノクロの写真には、銃を持ったチャドール姿の女性や子供の姿も残る。
「この子は13歳の義勇兵で、爆弾を抱えてイラク軍の戦車の下に身を投げて、その進軍を食い止めたんだ」
知っている。この少年の顔は、テヘランのビルの壁にも肖像が描かれている。この戦争の英霊の一人としてイランでは知らない人はいない。
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