【断食月の定番。ナツメヤシの実と揚げ菓子バーミエ(撮影:筆者)】

teheran_diary0001大村一朗のテヘランつぶやき日記 イラン断食日記(1)2011/08/02
8月2日午前4時。1時間前まで消えていた周囲のアパートの明かりが、幾つか灯っている。夜明けのアザーンが始まるまで、あと30分。今日の断食に備えて、皆、早い朝食を取るのだ。

今日からイスラムの断食月ラマザーンが始まる。日の出から日没まで一切の飲食を控え、善行に勤しみ、貧しい人の苦しみを知り、自らの心を鍛え、精神性を高める一ヶ月だ。

断食に挑戦したのは、7年前、イランで暮らし始めて最初に訪れたラマザーンだった。イラン人と断食の苦楽を共にしようと思い立って始めたが、1週間でリタイヤした。あの日、お昼時、店の奥や車の中、至るところで隠れて昼食を取っている人々の姿を目にし、あほらしくなってやめてしまった。あれ以来、異教徒の自分にとってラマザーン月は、ただでさえ規制の厳しいこの国で、外での飲食まで控えなければならないという、腹立たしい月でしかなかった。

テレビを点けてみる。画面の端にはイラン各都市の名前と、それぞれの夜明けのアザーンの時刻が記され、すでにアザーンの始まっている都市の名前は赤く表記されている。当然のことながら、都市によってアザーンの時刻は異なる。首都テヘランは4時26分。僕は急いで昨夜の残り物の大量のスパゲッティーを腹に収める。食事を終え、水をたらふく飲み終えた頃、テヘランの表記が赤に変わり、近所のモスクから、夜の闇を漂うようにアザーンが聞こえてきた。

イラン生活も残りわずかとなり、やり残したことは多々あるけれど、この断食もその一つ。この月がコーランの下された神聖な月だとか、この月の善行が普段の善行の何倍にもなるとか、イスラム教徒の団結を促す月だとか、そんなことを抜きにしても、断食月は多くの普遍的な意味を持つ。それに何より、やってみて初めて分かることもあるだろう。]

でも、貧しい人々の苦しみを知ることなど、期待していない。喉の乾きや空腹だけで、貧しい人の心の痛みなど分かるはずない。僕が自分に課すのは、僕自身の心の問題を克服すること。それを断食の苦しみとともに胸に刻んで一ヶ月を過ごすこと。

このイランでも、断食をやるやらないは個人の自由だ。そして、やる人も、その目的は一つじゃない。
周囲のアパートの明かりがもう消えている。僕も横になり、目を閉じる。朝まで一眠りして、いよいよ断食のスタートだ。