teheran_diary0001歩道橋の少年
毎朝渡る長い歩道橋がある。高速道路を渡るための長さ50メートルほどの歩道橋。そこにはいつも、7歳くらいの少年が一人いて、ポケットティッシュを通行人に売っている。彼がこの歩道橋の上に現れたのは、1年ほど前のことだ。

人が来ると、横にぴったりと付いて歩きながら、「買ってよ、ねえ買ってよ」としばらく食い下がる。毎日その歩道橋を渡る僕は、週に2回くらいの割合で彼からポケットティッシュを買っていた。買うときは一度に5個くらい買うので、彼にとってはいいお得意さんだったろう。

一個の値段は10円から20円くらい。日によって値段はころころ変わる。最初の頃は、お釣りもよく間違えて、多く渡してくるときもあった。

少年は、僕が週に2回くらいしか買わないことを知っていて、毎日「買ってよ」とは言ってこない。大抵はすれ違いざま、ただ右手を差し出して握手したり、パチンと手のひらをたたきあう。僕にとっては、毎朝の嬉しい日課だった。

他の大人たちも、結構買っている。立ち止まって、買いながら少年と何か話したり、少年にお菓子や果物をそっと手渡す人もいる。雪の日、手が凍えて泣いている少年に大額の紙幣を手渡し、「泣くなよ!」と声をかけている男性もいた。腰を落として、いつまでも少年と話し続けるOLさんもいた。
そんな光景を見ていると、イラン人の心の垣根の低さは、単に人と人との間だけでなく、大人と子供、または異なる社会階層の間にも言えることなのだと実感する。この少年はきっと、社会からの疎外感を感じることなく成長してゆけるのではないかと思う。

イランでモノ売りの子供を見ると、いたたまれなくなると話してくれた日本人女性がいた。確かに、雨の日も、雪の日も、朝から晩まで、学校にも行かずにティッシュを売るのは、本来子供のやることじゃない。こうした子供たちが将来、高い確率で麻薬中毒者になるのも、事実かもしれない。本当にイランが進んだ国ならば、この少年は保護されて然るべきだ。そうした事実の前では、僕の見方など、うわべだけの感傷に過ぎないのかもしれない。
ある日、少年が言った。
「来週からいなくなるんだ」
「いなくなるって、どこか行くの?」
「アフガニスタン......」
「お前、アフガン人だったの?」
「うん。だから買ってよ」
翌週も少年はいた。
「買ってよ」
「この前買ったばかりだよ」
「もう当分買わなくていいから今買ってよ」
「前にもそんなこと言ったよね。アフガニスタン行きはどうなったの?」
「来週だよ」
その翌週も彼はいた。
その週から僕は10日間ほど所用でテヘランを離れた。
そして戻ってきたとき、歩道橋に少年の姿はなかった。
その翌週も、翌々週も。
どうやら本当にアフガニスタンに帰ってしまったようだ。
最後にたくさん買ってあげればよかった。
そう後悔しているのは、きっと僕だけではないのだろう。