これもイスラム以前から残るイランの伝統行事チャハルシャンベ・スーリー。イラン暦でその年の最後の水曜の晩、火の上を飛び越え、翌年の無病息災を祈る。ゾロアスター教が由来とされる(撮影筆者)

これもイスラム以前から残るイランの伝統行事チャハルシャンベ・スーリー。イラン暦でその年の最後の水曜の晩、火の上を飛び越え、翌年の無病息災を祈る。ゾロアスター教が由来とされる(撮影筆者)

 

◆春の祝祭ノウルーズを前に

イラン国営放送外国人独身寮での生活も2週間が過ぎた。インターネットも通じていないこの寮での生活は不便極まりなかったが、ルームメイトにも恵まれ、ペルシャ語の上達には良い環境と言えた。

ラジオ・ハウサー語の放送時間が遅いため、ナイジェリア人のルームメイト、コモーが寮に戻ってくるのは毎夜0時過ぎのことだった。

神学部出の彼は異教徒の私にイスラムを説くことを喜びと感じているようで、私の他愛のない質問に対しても、何倍もの解説を加えた壮大な回答を与えてくれる。私が睡魔と闘い始めても、彼は気にも留めずに説法を続けるのだった。

ある晩、コモーは日本の宗教について知りたがった。

「仏教の神はどのようなものか?」

仏教では神について語っていないし、イスラムのように神への信仰を目的とする宗教ではないと私は言った。

「なら日本人は神を持たないのか?」

私は、日本に古くからあり、今も残る自然崇拝について話した。山の民は山に、海の民は海に、田畑を耕す者も同様、自分たちに生きる糧を与えたり、脅 威を与えるものに「何か大きな存在」を感じ取り、そこに感謝と畏怖をもって神を見出すアニミズムの習慣は、日本に限ったものではなく、イスラム化する前の イランにもゾロアスター教やミトラ教があったではないか、と。

「その通り。ただ、イスラムがそれらと違う点は、自然に対する畏れや感謝から神を見出すのではなく、自然を科学の対象とし、偉大な学者たちが研鑽に研鑽を重ねた結果、その成果の中に、人智を超えた存在を見出すんだ。それを神と――」

「じゃあ何かい?未開の民族が自然の摂理に畏れと感謝を感じても、そんなものは神でも宗教でもないと言いたいのか?」

突然機嫌を損ねた私を、コモーは理解しかねて困惑した。私が短気でへそ曲がりすぎるのだろうか。イスラム教徒と宗教の話になると、最後はいつも上から目線で「正しい本当の教え」を諭されて、こちらが全部否定されたような気分になる。

イスラムの全盛期と言われた西暦12、3世紀まで、イスラム圏の科学と学問は世界の最先端にあった。イスラムから見れば、当時のヨーロッパなど、ギ リシャ時代の遺産にすがるだけの暗黒の地に等しかっただろう。イスラムがことさらに学問、科学を奨励しているのは、コモーが言うように、科学を極めれば極 めるほど、神の存在が浮き彫りになるからだ。

そんなテーマの原稿を、私は職場で何度か翻訳した。そのたびに、なるほどなと思いつつも、何もかも信仰に結びつける考え方に抵抗を覚えることもあっ た。科学も文学も音楽も信仰に昇華させられ、酒や恋愛を詠った詩ですら神への愛に置き換える。本当に中世イスラム諸学の隆盛は、信仰あってのものだったの だろうか。本当は、それぞれがもっと自由で、だからこそエネルギーに溢れ、次々と優れた学者を輩出したのではないのか。そう考える方が、現代イスラム世界 が西欧に引き離されている理由も説明しやすいではないか。もちろん、そんな根拠のない空想を、さすがにコモーにぶちまけることはなかったが。

翌朝、まだ寝ているコモーを残し、私は一人、音を立てずに寮を出た。この日も、出勤する前に、まもなく妻とともにイランにやってくる、生後9ヶ月の息子の病院探しとアパート探しをしなければならない。
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