テヘランのメインストリートの一つヴァリアスル通りを埋め尽くすムーサヴィ支持者の街頭運動。支持者らはムーサヴィー派のシンボルカラー、緑を身に着けている。選挙後の騒乱では、彼らは自らを「緑戦線」と呼ぶことになる(2009年6月・撮影筆者)

テヘランのメインストリートの一つヴァリアスル通りを埋め尽くすムーサヴィ支持者の街頭運動。支持者らはムーサヴィー派のシンボルカラー、緑を身に着けている。選挙後の騒乱では、彼らは自らを「緑戦線」と呼ぶことになる(2009年6月・撮影筆者)

 

2009年6月に行われた第10期イラン大統領選挙について、この選挙の顛末を詳細に知りたいと思う読者はごく少数かもしれない。しかし、それを承知であ えて記しておこうと思う。この選挙は、イランの現代史、政治史の大きな転換点となった出来事であり、私と家族にとっても、イラン生活の転機となった出来事 だったからだ。

投票日まであと数日と迫った頃には、首都テヘランは異様な熱気に包まれていた。前回、2005年の大統領選挙のお祭り騒ぎと比較しても、度を越した盛り上がり方と言ってよかった。
加熱する、若者を中心とした市民の草の根の選挙運動と言えば聞こえはいいが、夜中の2時を過ぎてもクラクションを鳴らし立て、奇声を発しながら住宅街を我 が物顔で暴走する、選挙運動に名を借りた迷惑行為の数々には、いつからこの国はこんなに自由な国になったのかと首を傾げたくなるほどだった。
そもそもこの選挙自体、いつからこれほどの盛り上がりを見せるようになったのだろう。当初は、候補者の顔ぶれから、高い投票率は望めないだろうというのが一般的な見方だったのに。

遡ること2週間前の5月20日、内務省から発表された第10期イラン大統領選の候補者は4人。再選を目指す現職のマフムード・アフマディネジャード 大統領(52)、元国会議長で国民信頼党党首のメフディー・キャッルービー師(72)、イラン・イラク戦争時代に首相を務めたミールホセイン・ムーサ ヴィー氏(68)、そして、革命防衛隊の元総司令官で、現在は公益評議会書記のモフセン・レザーイー氏(54)である。
前回8名で争われたのが、今回はわずか4名であること、そして、その4名ともが立候補審査を難なくパスできる、体制に忠実な人物であることから、のちに過剰なまでの盛り上がりを見せるこの選挙戦も、その幕開けは静かなものとなった。

◆イラン社会映す「保守VS改革の構図」 

候補者4人の名の発表とともに正式な選挙活動期間がスタートした。イランでは、選挙は常に保守派対改革派の議席の奪い合いである。大統領選挙も例外 ではなく、今回保守派からはアフマディネジャード大統領とレザーイー候補が、改革派からはムーサヴィー候補とキャッルービー候補が出馬している。保守、改 革のいずれの支持者たちも、二者択一を迫られることになる。

町には、少しずつ選挙ポスターが目立ち始めていた。しかし、そのほとんどは改革派のムーサヴィー候補のものばかりだ。

「一番知名度が低いからね。特に若者には。まず顔を知ってもらう必要があるんだろう」とタクシーの運転手が言う。

ムーサヴィー氏は、80年代、イラン・イラク戦争中に外務大臣と首相を務めたが、89年に首相職から退いた後、戦後のラフサンジャーニー政権とハー タミー政権で大統領顧問を務めながらも、実質この20年間、政治の表舞台に立つことはなかった。4人の候補者の中では、前回の大統領選に立候補していない 唯一の候補でもあり、そのため有権者の大多数を占める若年層にとって、彼の存在は未知に等しい。
この年の3月、出馬を表明していたハータミー元大統領が、ムーサヴィー候補の出馬表明を受けて出馬を辞退したことから、改革を求めるハータミー師の支持層 を、ムーサヴィー氏がそのまま受け継ぐ形となった。さらに、その経歴から、保守派からの支持も得られる候補と言われている。しかし、選挙に勝つために最も 重要なのは、20日間という短い選挙運動期間中に、浮動票と若年層の票をいかに取り込めるかだ。ムーサヴィー派は、テヘラン大学の学生たちを中心に、若者 への支持を広げようとしていた。
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