イランの首都テヘランで2009年、日本人の母親たちが子供のために日本語補習校を立ち上げた。校庭で元気に遊ぶ子供たち(撮影筆者2010)

◆テヘラン日本語補習校

妻は学齢期前の子どもを持つ日本人女性の会、バッチェミーティングの役員任期を終えて、今度は出来て間もない日本語補習校の講師の仕事を始めていた。

首都テヘランには、日本企業の駐在員とその家族、日本人留学生、そして、イラン人と結婚した日本人女性たちといった具合に、いくつかの日本人コミュニティーが存在する。
私も妻もすでに学生ではないし、駐在員たちの集う日本人会は敷居が高いので、我が家(主に妻)はもっぱらイラン人と結婚した日本人女性の集まりに混ぜてもらっていた。こうした日本人女性の中で、学齢期の子供を持つお母さんたちが集まり、子供たちに日本語を学ばせる日本語補習校を立ち上げたのは、1年前の2009年9月のことだった。

テヘラン市街に数ある文化センターの一つに、イランの週末にあたる木曜の午後3時半、母親に連れられて子供たちが元気に通ってくる。小学校低学年から中学生まで、生徒数は20人ほど。クラスは、日本語基礎クラス、低学年クラス、高学年クラスの三つが、年齢ではなく、実力に合わせて編成されている。講師は有志の母親が務め、日本で使われている小学生用の国語の教科書とともに、先生手作りの教材が使われる。

この補習校に子供を通わせる母親たちの思いは様々だ。いずれは家族揃って日本への移住帰国を考えている母親もいれば、イランでの永住を決めている人もいる。高学年クラスに子供を通わせる、あるお母さんは、イランでの永住と、イラン社会で子供を育ててゆくことを決めた理由を、ここで夫の仕事が安定し、家族が一緒に過ごせる時間が十分に取れること、そして、初めての異国での生活の中、家族のように親身になって助けてくれ、出産のときには病院にまで付き添ってくれた近所の人たちとの親密な人間関係にあると語ってくれた。それは何物にも代えがたく、日本に戻ってもそうした環境に恵まれる保証はない。それでも、自分の祖国の言葉と文化を学ばせたいと、毎週この補習校に子供を通わせている。

別のお母さんも、イランでの永住を決めながら、子供の将来の選択肢を広げてあげたいと思い、この補習校に子供を通わせる。日本人の片親を持ちながら日本語を知らないことで、あとあと子供に悔しい思いをさせたくない。親として、今出来ることをしてやりたいと話してくれた。

イランでは6月には学校が夏休みに入る。お母さんたちの多くは、6月になるとさっそく子供たちを日本に連れ帰り、まだ夏休み前の日本の小学校に1か月間だけ通わせ、そのまま夏休みを日本の子供たちと過ごさせる。それでも、秋にイランに戻り、イランの小学校に通い、イランで日常を過ごすうちに、子供は日本の小学校で習ったことの多くを忘れてしまう。この補習校に通わせれば、それをかなり補えるという。

この国での永住を決めるまでにどれほどの時間と決意が必要だったか想像に余りある。彼女たちの口から永住という言葉を聞くたび、そのような決断ができる女性というものの強さと柔軟さに私は思わず舌を巻いてしまう。

そうした母親たちとの付き合いの長い妻は、彼女たちの思いに応えるべく、週一日の授業のためにずいぶんと時間をかけて準備をしていた。木曜に休日が多かった私も3歳の息子とともに毎回補習校に足を運んだ。廊下では小さな椅子を並べて、お兄ちゃんやお姉ちゃんの授業に付いてきた学齢期前の幼児のために、お母さんたちがひらがなやカタカナを教えてくれたし、日本語を話す他の子供たちと接する機会は息子にとっても貴重なものだったからだ。

教室からは、妻の怒鳴り声に負けないほど、子供たちの声もたくさん聞こえてくる。親の動機はどうあれ、子供たちはこの補習校が大好きだ。休み時間になれば、日本のアニメやゲームの話題も飛び交っている。
2時間の授業を終えると、暮れかけた文化センターの校庭に子供たちが一斉に飛び出してくる。父親の車が迎えが来るまでのわずかな時間、彼らは鬼ごっこをして駆け回る。年長の子供たちが、小さな子供たちと一緒になって遊んであげている姿は、やっぱりイランの子なのだと感心してしまう。

宿題が山のように出るイランの小学校に通いながら、週末にこの補習校に通い、そこでまた宿題が出されるのだから、子供たちにとっても大変だろう。それでも、日本人の母親を持つという同じ境遇の子供同士が、これだけの規模で集まる機会は他にない。子供たちにとっても、ここは特別な場所なのだ。

永住するにしろ帰国するにしろ、いずれは日本とイランの架け橋となる子供たち。その姿を見守りながら、そう遠くない自分自身の未来についても思いを馳せる。ここはそういう場所なのだ。私にとっても、たぶん多くの母親たちにとっても。

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