爆音のない静かな空を!
~厚木基地周辺住民、半世紀の訴え~ 第11回  【吉田敏浩】

【市街地の上空を飛ぶ自衛隊P-3C対潜哨戒機】
【市街地の上空を飛ぶ自衛隊P-3C対潜哨戒機】

米軍機を止めた座り込み
そして1969年8月15日から3日間、厚木爆同は滑走路北側の民有地に櫓を組み、テントを張って座り込みをおこなう。200~300人の会員が集まり、長い竹竿を継ぎ足して林立させ、幟〔のぼり〕を吊るした。米軍機の視界を遮るため、古タイヤを燃やして黒煙を立ち昇らせた。ビラ配布や婦人会員による炊き出しもした。

「昼間は仕事で家にいない亭主よりも、1日中家で爆音の被害を実感している奥さん方の怒りと熱気がすごかったですね」と、当時、厚木爆同の書記長として座り込みに参加した鈴木保は語る。

米軍機が上空すれすれに飛んで威圧したり、基地の金網のそばでジェットエンジンを噴かし、座り込む住民に熱風を浴びせる嫌がらせもあった。警官隊が来て、実力行使をやめるように何度も警告したが、やめなかった。そして結果的に、米軍機の飛行は停止した。

当時の厚木爆同委員長で、現在80歳の真屋求〔まやもとむ〕がこう語る。「日米合同委員会で決まった騒音軽減措置を守るよう、米軍に何度も申し入れていましたが、それを無視して猛烈な訓練を続けるわけです。日本政府も問題の解決に誠意を示しません。これでは、爆音のため安静もできず、治る病人の病気も治らない。だから、やむにやまれぬ実力行使だったんです」

【厚木基地の北端からフェンス越しに滑走路を望む】
【厚木基地の北端からフェンス越しに滑走路を望む】

この時の厚木爆同の要求は、「飛行活動の隔日化、午後6時から午前8時までの飛行とエンジンテストの禁止、飛行方法と高度の規制強化、遊休地化していたイーストキャンプ区域の即時返還」などであった。

座り込み2日目、爆音問題に関心の深い地元選出の社会党国会議員らが仲介に入り、防衛施設庁に強く働きかけて、長官と真屋の面談を実現させた。
その結果、「エンジンテスト時間の短縮、離着陸時を除く最低飛行高度を200メートルから500メートルに改める、所定コース以外は飛ばない、イーストキャンプ返還の約束、航空機による難視聴のためテレビ受信料の半額免除区域を拡大」など防衛施設庁からの回答が翌日出た。

住民側にとっては不十分だが、会員には仕事も家事もあり、これ以上の続行は難しく、実力行使は一定の成果をあげて終えることになった。
(文中敬称略)  つづく
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