市場で堂々と売られている韓国と米国からの人道支援食糧。 (2004年7月清津市 リ・ジュン撮影)

市場で堂々と売られている韓国と米国からの人道支援食糧。
(2004年7月清津市 リ・ジュン撮影)


洪水被災者女性の証言 下

シム・ウィチョン:復旧作業はどうですか?
女性:この付近の有様から考えても、全部個人の負担ですよ。
「各家から鉄筋2メートル出せ、くず鉄10キロ出せ、それから後方作業(共同復旧作業)をするから500ウォン出せ」という調子。

そうやって集めておいて誰かが懐に入れてしまうのか、どこに使うのやらわからない。出す人もいるけれど、出さない人は出さないんです。復旧活動は今もやってるけれど、水害があったのがいつのことですか?来年までかかっちゃうわよ、まったく。(インタビューは2006年8月に行われた。水害被害はこの年の7月上旬だった。)

シム:あなたの住んでいる所も被害地域に入りますか?
女性:はい。

シム:国際支援物資は受け取りましたか?
女性:ありましたよ。洗濯せっけん2個と、手洗いせっけん1個だけ。

シム:国家がくれたものでしょうか?
女性:国営商店で売りに出したのではないから、国家の支援品でしょう。

シム:朝鮮のものでしたか?
女性:はい。

シム:洗濯せっけんも?
女性:ええ、すべて朝鮮製です。

シム:水害にあった人々の方が逆に物資を出させられてるのに、復旧はまだほとんどできていないようですね?
女性:そうよ。橋が全部流されてしまったから、靴を脱いで渡ってますよ。

シム:家はどうでしたか?
女性:家?あと1時間ぐらい雨が降り続いていたら、うちも流されていたでしょうね。水が腰まで来ていましたから。

シム:倒壊した家はありましたか?
女性:下流の方の村では倒壊してました。
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