遺族としては、バイクに付いた収納箱に遺書のようなものが入っていたかもしれないと考えずにはいられないのである。
このように遺留品をめぐる自衛隊側の処置と対応は、遺族の不信感を募らせた。
また、仮通夜と通夜の席で、遺族は複数の「さわぎり」乗員から、艦内でいじめがあったことを聞いている。
だが報告書は、いじめはなかったと断定しており、それを遺族は自衛隊側の一方的な決めつけで、もの言えぬ死者にすべて責任を負わせようとするものだと受けとめた。

こうした自衛隊側の姿勢は遺族の心を傷つけた。
そして、鈴木夫妻は憤りを覚えるととも
に、人の命の重さよりも組織の論理を優先させる自衛隊の閉鎖的な体質をそこに感じとった。

「希望を抱いて入った自衛隊で心を傷つけられ、自殺は本人が無能で弱かったせいだと決
めつけられた息子が不憫でなりません」(佳子)
「教育隊の入隊式で、司令が『大切なご子息をお預かりしますが、必ず立派な自衛官・人間に育てるのでご安心ください』と話されたことを覚えています。この約束はいったいどうなったのでしょうか。これまで何の釈明もありません。自衛隊は育てるどころか、息子は周りから心をずたずたにされて、命までも断たれてしまいました」(洋二)

当初は、自衛隊に対して裁判を起こすことなど念頭にもなかった夫妻だが、2001年6月7日、国を相手取って真相究明と謝罪と1億円の慰謝料などを求め、長崎地方裁判所佐世保支部への提訴に踏み切った。 ~つづく~
(文中敬称略)

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