家族とはぐれてしまったという45歳の男性会社員に話を聞いた。革命から今日までの30年間をどう評価するかとの問いに、彼は次のように答えてくれた。
「革命後、政府が決めた5カ年計画や様々な開発計画がこれまで継続されているのは嬉しいし、国民もそれを支持してきた。決めた通りに進んでいるかと言えば、必ずしもそうではないし、もう少しうまくやれたかもしれない。でも、それは普通のことだと思う。とにかく、最高指導者が当時、王政の欠陥を見て、変えたいと望んだことは、変えている。それは評価したい」

ステージに熱狂する人並みに何度も行く手を阻まれながら、ようやく前方にゴール地点のアザディータワーが見えてきた。だが、その威容を遮るかのように、イラン初の国産衛星オミードを最近打ち上げた衛星打ち上げロケット・サフィール2号の実物大模型が、誇らしく群集を出迎えている。
黒ずくめに不精髭をたくわえた、人目で熱狂的保守層と分かる初老の男性が話しかけてきた。私のマイクに向かってまくし立てるように話し始める。

「革命が起ったとき、先のことなんか考えもしなかった。豊かになれるかどうか、明日食べるものがあるかどうか、その程度の違いが自分の理想を変えることはなかった。

今だってそうだ。いや、死ぬまで、墓穴に入っても、革命に対する支持は変わらない。アメリカは大嫌いだ。いやアメリカ政府は嫌いだが、アメリカ国民は好きだ。イスラエル人はみんな親の代から犯罪者だ。やつらは死刑執行人だ。ガザはテロリストなんかじゃない。俺はガザを支持する。もし俺が武器を持っていたら、ガザやヒズボラに渡さない訳がないだろ!アメリカがイスラエルにどれだけ武器をやってる?」
30年をどう評価しますか?

「革命直後はまだ海外から小麦も大麦も、あらゆる食糧を輸入に頼っていた。俺はバンダレアッバースの港で働いていたからよく覚えているよ。それが今じゃあ何だって自給できている。地下鉄、高速道路、造船、そして人口衛星だって作った。国中の村々に電話が通じるようになり、携帯電話まで持っている。最高指導者バンザイ!政府バンザイ!若者バンザイ!みんな大好きだ。こうして日本からやってきて俺の話を聞いてくれるお前さんにも感謝したい。俺はこの国を離さない!」

若い人の意見も聞いてみたかった。だが探すまでもなく、精悍な顔立ちの若者が握手を求めてきた。18歳、高校3年生だという。今日はどういう気持ちでここに来たのか訊ねた。
「僕たちはイランが大好きで、それをアメリカとイスラエルに証明したくて、今日は朝6時過ぎにはここに来ました。一ヶ月前からこの日を指折り数えて楽しみにしていました。革命については、そのとき生まれていなかったけれど、親から話を聞いたり、テレビで見たりして、イマーム・ホメイニーのことも、多くの殉教者が出たことも知っています。アフマディネジャードも大好きです」
横で話を聞いていた、あと10日で兵役を終えるという二十歳の青年が割り込んでくる。

「まずアメリカに言いたい。イランは外国に頼ることなく、すべて自分で出来る。それを誇りに思う。こうして衛星だって作った」。
正午過ぎ、長々と続いたアフマディネジャード大統領の演説が終わり、革命記念日のすべてのプログラムの終了がアナウンスされると、人々は広場から解散を始めた。
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