大村一朗のテヘランつぶやき日記~今日の会話 2009/02/25

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【昨年のファーテメ・ザハラー殉教日前夜の追悼行進・自宅前にて】(撮影:大村一朗)

 
 
 
 
今週2月24日火曜は、預言者ムハンマドの命日と、シーア派2代目イマーム・ハサンの殉教日で休日。

そして26日木曜は、8代目イマーム・レザーの殉教日で休日。イマーム・レザー廟があるイラン東部の町マシュハドでは、前日からアーシュラー並みの盛大な追悼行事が行なわれている。

水曜の夕方には、木金(イランでは金曜が公休日)の連休を旅行に充てようという人たちで、テヘランのハイウェイは渋滞となった。私を乗せたタクシーの運転手は、イランには追悼記念日が多すぎるとぼやく。

実際、預言者ムハンマドに加え、お隠れ状態の12代目イマームを除く11人のシーア派イマーム、女性の鏡とされる預言者の娘ファーテメ・ザハラー、そしてイスラム革命の創始者ホメイニー師と、これだけでも14人。

すべてのイマームの殉教日が休日という訳ではないが、3代目イマーム・ホサインだけでも受難日、殉教日、40日忌と三回も休日がある。そのたびにイラン人は、大々的に追悼行事を催し、身体に鎖を打ちつけ、涙を流す。

「でも、この前(2月10日)の革命記念日はとても楽しいお祭りでしたよ」
私が言うと、運転手も頷いた。
「まあね、革命記念日の前に10日間にも渡っていろんな催し物があったしね。でも、テレビをつければ、革命とその後の30年間を検証する番組ばかり。シャーの時代が悪で、革命後どれだけ良くなったか、そんな番組ばかりだった。でも、どんな時代も、良い点、悪い点があるのが当たり前だ。シャーの時代のすべてが悪で、劣っていて、今の時代のすべてが優れているはずがない」

「例えば?」
「例えば、国民に対する役所の奉仕の精神さ。シャーの時代に出来た道路や建物は、なにも王族やその取り巻きのためだけに作られたものじゃない。国民のために作られたものだ。そしてその当時に作られたものより良質なものを、今の時代にどれだけ目にすることができるのか。

なぜ当時は良いものを作ることができたのか分かるか?たとえ話をしてあげよう。シャーの時代、旱魃でその年の小麦の収穫が少なく、どこのパン屋も小麦粉を買占め、隠し、混ざり物の多い、質の悪いパンを作ったことがあった。
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