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【シューシュ遺跡。遠方にはフランス考古学調査隊の城が聳える。(撮影・筆者 2010/11/08)】

テヘランつぶやき日記
大村一朗のテヘランつぶやき日記 フーゼスターン州への旅(4) 2010/12/08
早朝から郊外のバスターミナルへ向かう。今日はフーゼスターン州の三つの遺跡を回る予定だ。最初の目的地シューシュ(スーサ)まで、バスが満席だったので、乗り合いタクシーで向かう。車は沙漠と湿地の大平原を猛スピードで飛ばし、120キロ先のシューシュに1時間ほどで到着する。

シューシュ遺跡は、市街を見下ろす広大な丘の上に広がるアケメネス朝時代の宮殿跡で、宮殿の間取りを示す遺構や礎石、石柱の残骸が、かなりの規模で広がっている。しかし、同じ時代のペルセポリス遺跡のような建造物はなく、素人目には見ごたえに欠けるものだった。

遺跡そのものより、その脇に聳え立つ19世紀に建てられたフランス考古学調査隊の城砦の方が目を引いた。10メートル以上はある堅固な城壁とその上の石造りの城砦は、地元住民の襲撃に備えたものだろう。危険を冒してまで遠い異国の発掘調査に臨む、ヨーロッパ植民地主義の一面を垣間見る思いだった。

シューシュでチャーターしたタクシーで、途中二つの古代遺跡を回りながら、80キロ西のシューシュタルの町に向かう。運転手は46歳のアラブ人、カーゼムさん。とにかく明るい、冗談の好きの人だ。

最初の遺跡ハフトタッペには15分ほどで到着した。ここは大小7つの丘のいたるところに、古代の墓や建物の遺構が残されている。カーゼムさんは車を降りて、うちの息子を肩に担ぎながら遺跡を案内してくれたが、あまり詳しいことは分かっていない遺跡なのだという。そばには朽ち果てたトロッコ列車の車体と線路が残り、フランスの調査隊が残していったものだと教えてくれた。

息子はカーゼムさんにすっかりなついてしまった。たとえ言葉は通じなくても、イラン人は諦めることなく、あの手この手で息子を笑わせようとし、最後にはその心を掴んでしまう。カーゼムさんの無精ひげに頬ずりされ、キスの嵐を浴びて、叫び声を上げて喜んでいる息子を見ていると、イランで子育てをしていて本当に良かったと思う。

車は次の目的地チョガーザンビールに向かう。カーゼムさんは、助手席の私に延々と話し続けている。
「イランで二人目の嫁さんをもらったらどうだ?俺の親父も爺さんも、嫁さんが二人いたんだ。俺だけが一人しかいないんだ。俺の嫁さんは色が白くてほんとにきれいなんだ。一人で十分さ。神は一つ、女も一人!」
チョガーザンビールは、世界遺産にも登録さた、紀元前13世紀のエラム王国時代のピラミッドだ。王国の宗教的中心地で、ピラミッドの高さは当時50メートルほどあったというが、現在はその半分ほどの高さしか残っていない。ピラミッドのそこかしこには楔形文字の刻まれたレンガが残り、周囲は3重の城壁で囲まれている。ここもまだまだ修復と発掘が進行中だ。

チョガーザンビールを後にすると、カーゼムさんは急に車を停め、その脇に広がるスイカ畑にずかずかと下りていった。こんな真昼間から、まさかスイカを失敬してくるつもりじゃないだろう。そんな私たちの期待を裏切るかのように、カーゼムさんは大きなスイカを一つ抱え上げて戻ってきた。
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