シャフララのアパート。庭の水やりが日課となった。

シャフララのアパート。庭の水やりが日課となった。

 

◆引越し 新しい町へ
街路樹の葉が強い陽射しを受け、まぶしい緑を放っていた。2005年の初夏を迎えようとしていた。

その春、私はすでにペルシャ語学校・デホダの最終タームを修了していたが、もうしばらくイランに残りたいと考えていた。もっともっとこの国を知りたいと思ったからだ。
だがデホダを修了した以上、デホダに代わる新たな受入れ先が見つからないことには、ビザの滞在期間延長は叶わない。そこで、安易な選択とは思ったが、大学院に行くことにした。テヘラン市街中心部にあるタルビヤテ・モダッレス大学院(直訳すれば、教員養成大学院)への入学手続きを進めた。

出来ることなら、デホダの母体であり、寮や教務課にも通い慣れたテヘラン大学の大学院に行きたかったが、ここは私費留学生にとって学費が恐ろしく高い。この当時、外国人私費留学生を広く受け入れているテヘラン市内の大学院の中で、学費が最も安かったのがタルビヤテ・モダッレス大学だったのだ。

6月、7月と、私は入学手続きのため、何度も大学に足を運んだ。入学試験はなく、必要書類を提出するだけなのだが、教務課だけでなく、学部長、学部事務長、専攻の教授等々、何人もからスタンプやサインをもらわなければならない。せっかく足を運んでも、相手が不在なら出直すしかない。

このスタンプラリーは1カ月たっても終わらず、その間に、アパートの1年契約の期限が迫ってきた。キャンパス内の夫婦寮に入りたかったが、スタンプラリーが終わらなければその申し込みすら出来ない。どうしたものかと困っていたところに助け舟を出してくれたのが、以前、デホダの同級生宅で開かれたホームパーティーで知り合ったOさんだった。

Oさんのお母さんは日本人で、Kさんというとても気さくな女性だった。お父さんは大学の先生をしている。ご夫婦の所有する3階建アパートの1階に空き部屋があるから、夫婦寮に入ることが決まるまでそこで寝泊りしたらどうかと勧めてくれたのだ。ただし、一度見にきて、気に入ったらどうぞということだった。

そこは、シャフララと呼ばれる街区で、賑わいのある商店街が公園を取り囲み、周囲には静かな住宅地が広がっている。これまで暮らしたエンゲラーブ広場界隈のような喧騒はなく、落ち着いたたたずまいだった。さっそくKさんがアパートに案内してくれた。

テヘランではよく見る、地上階が全て駐車場になっているアパートだった。駐車場の脇には大抵、小部屋があり、管理人室などに使われる。Kさんが紹介してくれたのは、まさにその管理人室だった。6畳間ほどのワンルームで、トイレとシャワーもある。東京で四畳半一間に同棲していた私たちには全く気にならない広さなのだが、Kさんはどこか申し訳なさそうな顔をする。在留邦人の多くが広い豪奢なマンションに住むこのテヘランで、少し気が咎めたのだろうか。

だが、妻は駐車場の奥、管理人室の目の前にある庭を見て歓声を上げた。そこには葡萄や柿の木、薔薇の植垣があり、部屋の狭さを補って余りある開放感があった。ただ、部屋には換気扇がなく、煮炊きは部屋の外でしなければならないようだ。ガス台は駐車場の隅に置き、便宜上、冷蔵庫も外に置くことになる。だが、それも毎日がキャンプのようで楽しそうだ。
「しばらくお世話になります!」
私たちはKさんに頭を下げた。

◆新生活 まだまだ知らないことだらけ
妻はシャフララが気に入ったようだった。彼女いわく、エンゲラーブは面白い所だったが、多少の緊張が伴う町だったという。確かにあそこは、アパートの建つ小道を一歩出れば、大勢の人や車が行き交う幹線道路があり、デモ行進や集会も行われるテヘランの心臓部である。一方、シャフララは、遠巻きに幹線道路に囲まれてはいるものの、ここだけが独立した、小さな賑わいを持つ孤島のような存在だ。

小さな地域ながらも、商店、銀行、ファーストフード店、食堂、薬局、ケーキ屋、電気屋と何でも一通り揃っているばかりか、市営の青果市場まであった。市場は私たちの住むことになったアパートの裏、歩いて僅か1、2分のところにあり、そこに行けば肉や野菜、果物が一般商店よりもずっと安い値段で買えた。

市の補助金によって市価よりも何割も安く買える青果市場は、まさに庶民の台所である。だが、安いのは嬉しいが、野菜にしろ果物にしろ、外の八百屋ほど粒は揃っていないし、気を抜けば随分傷んだものまで売りつけられる。1キロくれと頼んでも、平気で2キロ以上を袋に流し込まれてしまうこともざらで、半分に減らせと売り子に怒っている客の姿が至るところに見られるほどだ。

市場の中には何軒もの八百屋や果物屋が軒を連ねているのだが、どこのレジにも長い列が出来ている。袋に詰まった大量の野菜や果物を抱えてレジに並ぶのは結構つらい。列に並んでいるのがたとえ5人であっても、実際には10人が並んでいることもある。自分の番が近づいてくると、次々とおばさんたちが列に戻ってくるからだ。

なぜそんなことが許されるのか。彼女たちは最初に列に並んだとき、自分の前にいる人に、「私あなたの後ろだから」と言って、別の買い物に出かけたり、近くのベンチに座りに行くのである。そして自分の番が近づくと戻ってきて列に復帰するのだが、そこでよく「ちょっとあんた横入りしないでよ!」と口論になる。すると列に復帰したおばさんは、自分の前にいる客に承認を求め、その客が頷けば、事は収まる。

この承認制は八百屋だけでなく銀行その他、列が出来る場所で広く行われているが、どこでも諍いは付き物だ。なぜなら、承認を求める相手が常に自分の前にいる人間であり、列に復帰するときは、おのずと事情を知らない人の前に横入りすることになるからだ。自分の後ろの人に一言断って列を外れればいいものを、彼女たちは後ろに人が並ぶのを待たずに列を離脱してしまう。

だが諍いを防ぐルールは一応あり、それは、承認を頼まれた人間が、新たに自分の後ろに並ぶ人に対して、「私の後ろには一人いますから」と告げておくことである。だが、真面目に並んでいる人間がそんな責任まで負わされるのは理不尽に思えてならない。

さらにもう一つ大きな問題は、本当の横入りも実に多いことである。ぼんやりしていたら、いつまで並んでいても自分の番は巡ってこない。だから、青果市場での買い物にはちょっとした気合が必要だった。

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