イラン国営放送ラジオ放送収録スタジオにて。

イラン国営放送ラジオ放送収録スタジオにて。

 

◆夫婦でアルバイトを始める

イランで迎える3度目の春、私と妻はイラン国営放送でアルバイトを始めることになった。

イラン国営放送(以下IRIB)には、国内向けのテレビ、ラジオ事業のほか、海外向けの国際放送部門がある。国際部門では、世界主要言語によるテレ ビ放送とともに、32カ国の言語による短波放送も行っている。私たちが働くことになったのは、そうした短波放送局の中のひとつ、ラジオ日本語課という部署 である。

なぜそんなところで働くようになったのかというと、デホダ時代の同級生からの紹介だった。偶然、ラジオ日本語課が翻訳スタッフとアナウンサーを募集 しており、面接と簡単な筆記試験を受け、私は翻訳スタッフに、妻はアナウンサーに採用されたのだ。その後、男性アナウンサーも一人いた方がいいだろうとい うことで、私はもときどきスタジオに入ることになった。

アルボルズ山脈を見上げるテヘラン北部の一角に、IRIBの広大な敷地が広がっている。芝生と季節の花が整備された公園のような敷地は、社内巡回バスが走るほど広く、正門から国際放送ビルまで、歩けば優に15分はかかる。

年季の入った6階建ての国際放送ビルの最上階、中国語放送やウルドゥー語放送の並びにラジオ日本語課はある。男性スタッフはガラガーニー課長と翻訳 のジャディーディーさん、女性スタッフは、ショクロッラーさんという女性ミキサーと、様々な年齢層の5人の日本人女性がおり、彼女たちのほとんどはイラン 人のご主人とイラン国籍を持っていた。

私の出社は大学の講義のない日、午後1時過ぎぐらいからで、翻訳の日はひたすらニュースの翻訳を行い、アナウンサーの日は、午後5時からの30分間の生放送収録に備えて、翻訳の済んだ日本語原稿の最終チェックを行うほか、空いた時間に様々な事務仕事をこなす。

この事務仕事で最も時間と労力を費やすのは、リスナーへの返信作業である。そもそも、普通のラジオでは受信すら出来ない短波放送、それもイランから の放送を熱心に聴き、日本からわざわざ手紙を送ってくるリスナーが存在すること自体、最初は信じられなかった。だが、驚いたことに毎週10通から20通も のお便りがはるばる日本から届いているのだ。熱心なイランファンがいるものだと最初は思ったが、どうもそうではないらしい。

BCL(ビーシーエル/Broadcasting Listeningの略)ブームという言葉を、私はこのとき初めて知った。1970年代、中高生をはじめとする若者の間で、海外の短波放送を聞くのがブー ムになった。数千キロ彼方の外国からの電波を探し当てるロマンと、国内の既存のメディアでは得られない現地の情報、さらに、受信報告書と呼ばれる、放送内 容や受信状況を記した手紙を放送局に送れば、放送局からベリカード(verification card)と呼ばれる国際色豊かなポストカードが送られてくることが、多くの中高生の心を捉えていたという。そんなBCL世代が今、40代を迎えて、再び 短波ラジオを聴き始めたらしい。ラジオ日本語のリスナーにも、そんなBCL復活組が珍しくなかった。

なるほど、BCLという趣味の世界があり、ベリカードを収集するのが目的で受信報告書を送ってきてくれるのだな、と納得はしたものの、どうもそれだ けではないらしかった。確かに受信報告書だけを送ってくるリスナーもいたが、ほとんどの封書には、受信報告書とともに、番組への意見や感想、また常連リス ナーともなると、親しい友人に当てる季節の便りのように、身の回りの出来事までこと細かく書き綴られているのである。そうしたお便りを読みながら、私は少 しずつ考えを改めていった。
ところで、アメリカにはV.O.A、イギリスにはBBC、日本にもNHKワールドといった具合に、どこの国にも短波による海外向けラジオ多言語放送があ る。多くの国にその国の言葉で番組を提供する意義は何なのだろう。IRIBの社内規約には次のような文言があると、ガラガーニー課長が教えてくれた。

1.イランの意見を国際社会に知らせる
2.メディアを持たない声なき民の声を伝える
3.イスラムの真の教えを伝える

1は、アメリカという世界唯一の超大国から徹底的に敵視されているイランにとって、どうしても必要なことだ。自ら声を上げることがなければ、イランは「核兵器開発を目論むならず者国家」というレッテルを貼られたままだ。
2は、例えば、パレスチナ、アフリカ、第三世界などの声を代弁するという意味である。IRIBのニュースチャンネルでは毎日必ずパレスチナのニュースが流 される。その日、ガザ地区で何名のパレスチナ人が殺害され、ヨルダン川西岸で何名のパレスチナ人が連行されたか......。イランにいると、パレスチナ で日々何が起きているのか手に取るように分かる。
そして最後の3の「真のイスラムとはいかなるものかを伝える」というのは、とくにアルカイダなどの過激な武装闘争を掲げるグループの存在が西側世界でイスラム教への誤解や偏見を広げているなか、とりわけ重要な意味を持っているともいえる。

IRIBラジオ日本語は、こうした放送規約に基づきながら、デイリーニュースをはじめ、宗教や文化に関するシリーズ番組等を流しているわけだが、そ れは、欧米メディアの論調に偏りがちな日本の報道とは異なる視点を提供するものとなっている。ラジオ日本語のリスナーの中には、そうした視点を、日本では 得がたい有益なものと捉える人が多数を占めるようだった。コーランとイラン国家で始まり、徹頭徹尾イランとイスラムによる世界観で語られるニュースと制作 番組に、リスナーは最初大きな違和感や驚きを覚え、次第に、それに惹かれてゆくようなのだ。ラジオ日本語を聴くようになってから、イランやイスラムがとて も身近に思えてきたと書き送ってくれるリスナーも多かった。

そうしたお便りの一通一通に対して、心のこもった手書きのお返事を書き添えるのが、IRIBラジオ日本語の方針だった。アナウンサー1人が1週間分 のお便りを受け持つのだが、月に1回ぐらいの割合でその作業がめぐってくる。受信報告書の内容をベリカードに書き写し、それをデータベースに入力するだけ で骨が折れる作業だが、さらに手書きの返信を添えるとなると、自宅へ持ち帰らざるを得ない仕事量となる。

しかし、1999年の設立以来、ラジオ日本語が着々とリスナーを増やしてきた背景には、女性アナウンサーらの美しい手書きによる返信作業があったこ とは言うまでもない。そう思うと、男性アナウンサーからの、あまり美しくない手書きの返信では、どれほどの効果があるものだろうかと、なんだか申し訳なく すら思えるのだった。

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