2月、テヘラン市街から見上げるエルブルース山脈(撮影筆者)

2月、テヘラン市街から見上げるエルブルース山脈(撮影筆者)

 

◆イランに戻る条件

イランの首都テヘランを南北に貫くヴァリアスル通りは、全長およそ18キロ、中東で最長とも言われる。イランで最も繁華できらびやかな通りだ。私の 新たな職場、イラン国営放送もこの通りに面している。出勤第一日目を終え、ショーウインドウの明かりに照らされたヴァリアスルの歩道に出ると、この雑踏の 中にいるのが信じられないことのように思えてくる。一度はすっかり諦めたイランなのだ。

10カ月前、妻は日本で元気な男の子を出産した。3人家族となった私たちは、しばらくの間、私の実家に身を寄せることになった。古巣のイラン国営放 送・ラジオ日本語課から、番組枠拡大に伴い、正規職員が増員される可能性があると聞かされていたため、私はアルバイトをしながら、その決定をしばらく待っ てみることにしたのだ。

生後4カ月が過ぎたある日、何の前触れもなくその出来事は起こった。イランの友人と国際電話で話している私のもとへ、妻が息子を抱きかかえ、叫び声をあげながら走ってきた。

「息してない!!」

すでに息子の顔色は浅黒く変色し、唇は紫色に変わっていた。授乳の直後、「ギャッ」と奇声を発したかと思うと、そのまま動かなくなってしまったとい う。名前を叫ぼうが顔をはたこうが意識が戻らない。腕の中で、命の火がみるみる消えかかろうとしているのが分かる。119番に電話をかけると、オペレー ターに人工呼吸を指示された。

「まず鼻をつまんで。もし小さすぎてつまめないなら、鼻ごと口で覆って、大きく息を吹き込んでください」

一息吹き込み、口を離すと、息子は「ケホッ」と小さく息を吐き、そして大声で泣き声をあげた。みるみる顔に精気が帯びてくる。これでもう安心だと 思ったが、念のため、かけつけた救急車で病院に運ぶことにした。救急車の中では、まるで何事もなかったかのように救急隊員に笑顔を振りまいている。息子 は、乳幼児突然死症候群(SIDS)と呼ばれる原因不明の「死」の淵から、奇跡的に還ってきたのだった。

SIDSは、直前まで何の問題もなく元気に過ごしていた子どもが突然死するもので、0歳児、とくに4カ月から6カ月頃に起こりやすいとされる。胃食 道の逆流やウイルス性気管支炎、あるいは、呼吸を指令する脳幹部の未発達から起こるとされているが、それ以上のことは解明されていない。人の脳は、宇宙の 果てにも等しい未開の地なのである。

息子は10日間の検査入院を終えてからも、しばらくは血中酸素飽和度測定器(サチュレーションモニター)を就寝時のみ足に取り付けることになった。 呼吸が止まり、血液中の酸素飽和度が低下すると、アラームを鳴らして知らせてくれるという機械だ。私と妻、それに私の両親がローテーションで、一晩中この 機器の数値を見守り、ノートに記録する日々が始まった。通常、この数値は限りなく100パーセントに近いものだが、息子の場合、睡眠時には80台、ときに は60台まで落ち込むことがあった。息子の主治医によれば、それは普通ではありえない数値だという。
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