6434人の命が奪われた阪神・淡路大震災は1995年1月17日、発生から21年を迎えた。被災者はこの日をどのような思いで過ごしたのか。鎮魂の祈りに包まれるなか、神戸市東灘区森南町の加賀翠さん(60)一家を訪ねた。(矢野 宏/新聞うずみ火)

阪神淡路大震災から21年。被災者の加賀翠さんと、震災後に生まれた息子の亮(たすく)君。加賀さんは、震災で当時6歳だった娘の桜子ちゃんを失った(神戸市灘区にて1月撮影:矢野 宏)

阪神淡路大震災から21年。被災者の加賀翠さんと、震災後に生まれた息子の亮(たすく)君。加賀さんは、震災で当時6歳だった娘の桜子ちゃんを失った(神戸市灘区にて1月撮影:矢野 宏)

地震発生時刻の午前5時46分。凍てつくような寒さのなか、加賀さんは震災後に授かった亮(たすく)君(15)と一緒に自宅近くの森公園で、その時 を迎えた。森地区で亡くなった107人を追悼する慰霊祭。20人あまりが黙祷をささげ、慰霊碑に手を合わせた。震災体験者は齢を重ね、震災後に移ってきた 住民も地区の半分近くを占めるようになった。参列者も年々減り、今年は慰霊祭のあとに振舞われていたぜんざいもなくなった。

21年という歳月について尋ねると、加賀さんは少し沈黙したあと、こう答えた。「この日、この時間がまたやって来たなあという感じです」

加賀さんは震災で桜子ちゃん=当時6歳=を亡くした。花柳流師範でもある加賀さんが結婚9年目にして授かった一人娘で、日舞の『娘道成寺』からの命名だった。

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