桜子ちゃんはおじいちゃん子だった。大地震が襲ったあの日も祖父の幸夫さん(享年75)が営む呉服店をかねた自宅の1階で家屋の下敷きになった。隣 で寝ていた幸夫さんが助け出そうとしても、柱や壁、家財道具などにはさまれて身動きできなかった。「おじいちゃん、苦しい......」という呻き声が最 期となった。

その年の春には小学校に入学することになっていた。生きていれば27歳。結婚して孫を抱かせてくれていたかもしれないと思うこともあるが、加賀さんの心の中に生きている桜子ちゃんは6歳のままだ。

加賀さん一家は震災後、さらなる「災」に襲われた。市が決定した区画整理事業である。道路の拡幅予定地にかかり、17メートルの幹線道路が家の上を 貫く計画だった。幸夫さんは、地元のまちづくり協議会の会長として、市側との交渉にあたった。市が示した当初計画の見直し案をめぐり、まちづくり協議会が 分裂。加賀さんは会長を降りたあとも、もめごとが起きれば双方の間に入って相談に乗っていた。

その幸夫さんも2009年の大晦日に他界。口癖だった「桜子ひとりでは寂しいでしょうから、お墓には私が一緒に連れて行こうと思っています」という言葉通り、翌年3月に納骨した。

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