闇市場に並ぶ露天食堂の前で小さな男の子が拾い食いをしている。センの言う「権原」が奪われた状態であることが分かる。1998年10月元山市にて撮影アン・チョル(アジアプレス)

◆アマルティア・センの飢餓分析

98年にノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者アマルティア・センは、著書『貧困と飢饉』(岩波書店)の中で「権原」という概念を使って「人はなぜ飢えるのか」を説明している。「権原」とは食糧にアクセスする権利と能力を意味する。

センは、飢餓とは充分な食料を手に入れ、消費するだけの能力や資格が損なわれた「剥奪状態」を意味し、飢饉とは死亡率の上昇を伴う、その剥奪状態の急激な進行であるとする。

祖国で1940年代に起こったベンガル飢饉の例を取り上げ、食料が大量に保管されている食料品店の前で、飢えて死ぬ人の存在を指摘し、ある地域に対する食料の供給量と、飢えに苦しみ死んでいく人の発生は直接関係がなく、このような人々の「権原」がいかに剥奪されているかに注目すべし、としている。

私は、北朝鮮の慢性化した飢餓と、それがもっとも激しく現出した9598年の大飢饉を考えるとき、センのいう「権原」の剥奪がぴったりと当てはまると考える。

北朝鮮の闇市場には、大量の穀物や食品が並んでいるのに、その前でやせ細った子供が何人も拾い食いをしている。靴が大量に並べられている傍を裸足の子供たちがぬかるんだ道を歩いている。この光景が何より「権原」を剥奪された状態であることを示している。

配給制度という国家によるカロリー供給管理制度が維持できなくなった途端、一時に大量の人が、「権原」を剥奪された状態となり、飢えていったのである。

北朝鮮の食糧危機は当分続きそうな気配であるから、国際社会からの大量の食糧・医療支援は当然続けていかなければならない。しかし、求められるのは「本気で北朝鮮民衆に食糧を届ける」ことである。

食物とアクセスする「権原」を考えないことには、食糧支援をいくら続けても飢えた人々はいつまでもなくならない。国際社会が考える食糧配布の優先順位は、もちろん最底辺の人から順に上に、ということだ。しかし、北朝鮮の体制には別の優先順位があると思わざるをえない。

食糧を送ったという事実に満足するのではなく、真に有効な食糧支援の方法は何かを検討する段階に来ている。モニタリングの徹底はもちろん、新しい支援のあり方を北朝鮮当局に求めていくべきだろう。例えば国連機関による直接の公的雇用は、即効性が期待できる。

センは著書の中で述べている。

「厳しい飢餓が発生し続けていることは、民主的政治が制度としても実践しても欠如していることと密接に関連している」

さて、このような大飢饉のために多くの北朝鮮の人々が祖国を離れることになったのだが、次章では統制の厳しい北朝鮮からどのように中国に脱出するのか、強制送還されるとどのような処罰を受けるのかについて、見てみたい。(続く)

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