北朝鮮に送還された後、再脱北してきた直後の白さん一家。2000年8月に延辺朝鮮族自治州にて石丸次郎撮影。

 

白さん一家は中国から北朝鮮当局に身柄を移送された後、まず国境の拘置施設で保衛部(現在の国家保衛省=政治警察)の取り調べを受けた。

「韓国人と接触しなかったか、キリスト教会に面倒を見てもらわなかったか、他の外国人と接触しなかったかをしつこく尋問されました。手錠を後ろ手にかけられて踏みつけられたり、拳で殴られたりしました」

子供たちにも訊くと、

「『韓国人と会っただろ』とベルトで足を叩かれました」

妻も顔面を殴られて鼻血が噴き出したと言った。

その後、白さんだけが咸鏡北道清津(チョンジン)市にある「集結所」という拘置施設に送られた。集結所は、中国から強制送還された難民を含め、逮捕した者を出身地に送り帰すまでの問収容しておく施設である。

この「集結所」が北朝鮮難民たちにとって恐怖と怨嗟の的になっている。殴打も頻繁で、狭い部屋に押し込められわずかな食事しか与えられず、日中は管轄する人民保安部(現在は保安省、一般の警察)の畑の耕作や薪拾いなどに使役させられたという。

「娑婆でも食糧が満足にないので、集結所で与えられる食事は、トウモロコシの粥を椀の底に塗った程度の量なんです。それできつい仕事をさせられ、少しでもサボると監視役を任された同じ囚人に酷く殴られます。部屋はシラミと南京虫だらけで不衛生。栄養不足と過労で病気になる者も多く、集結所に入れられていた2カ月間に、同房だった約80人のうち2人が衰弱して死にました」

白さんはその後1カ月間「教化所」(刑務所)という別の拘置施設に収容される。釈放された時には歩けない状態だったという。

「一家全員で逃げていたので、食べ物を求めて一時的に親戚のところに身を寄せていたという言い訳が通用せず、『国家を裏切った』と責められました」

(続く)

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