◆ソ連時代はゲイの性愛は処罰対象、レズは…
幼い頃、両親がドレスを無理やり着せようとして、必死に拒んだことを覚えている。自分の性に違和感を持ったのは13~15歳ぐらいのときだった。
「スマホなんてない時代だったから、とても近い友達だけにそっと話した。でも何か悪いことを隠しているような気持ちだった」
空手を習うようになって、男の子の服ばかり着るようになった。学校では、男子からたまにからかわれることはあったが、いじめられるほどではなかったという。
「こっちが空手をやってるのを、みんな知ってたから私は例外かもね。性自認に悩む子はもっといたと思う」

ソ連時代は男性間の性愛行為は「犯罪」として処罰された。女性どうしはどうだったのだろうか。
「ゲイは体制から抑圧されたけど、レズビアンはそれほど厳しい取り締まり対象ではなかった。むしろソ連崩壊後のいまのほうが、極右や宗教方面からの非難に直面するようになった」
両親にカミングアウトしたのは、ブログをやりだしてしばらくしてからだ。
「誰かに知らされて驚くより、自分で伝えようと決めた。『お前が幸せであることが大事』と優しく受け入れてくれた。反発されるかと思ったら、現代的な態度で、それがうれしかった」

◆侵攻後、生きることの意味を見つめ直した
ロシア軍の侵攻は、ウクライナ社会の同性愛や性的少数者への見方に変化の兆しを感じるようになったとマルゴは話す。
「侵攻後、数百万のウクライナ人が国外に避難した。そうした人たちが各国の社会政策を知り、同性愛、LGBTQについて理解を深めた人も少なくない。西欧では同性婚があたりまえの権利として認められている国もある。同性婚を導入した国で、社会に深刻な問題が起きているわけではない。これは、いずれウクライナ国内の政治にも影響してくると思う。この社会の次世代のためにも、同性婚が認められる日がきてほしい」

マルゴ自身は、侵攻によって生きることの意味を見つめしたという。
「この戦争で、人生の意味を考えるようになった。今日、生きていることをもっと大切にしたい。もっといろんな人と語り合うべきじゃないかって」
長年連れ添ったパートナーと別れたことから、しばらくブログの更新をやめていた。だが、読者たちからの応援のメッセージを受け、活動を再開した。
「ある読者の女性は、男性と結婚して子どもが3人いたけど、性自認に悩み続け、結局離婚して精神が破綻寸前だったそう。そんな時、私のブログを読んで心が救われたとコメントをくれた。性自認を誰にも語れず、孤独なままの人がたくさんいる。いろんな事情があるから、誰もが自身をオープンにできるわけじゃない。だけど孤独に感じたら、私のSNSやブログにやってきてほしい。そこが誰かの居場所のひとつになってくれたらうれしいな」
マルゴはそう言って、木々の隙間から差し込んだ日差しを見上げた。

























