テヘランの風欧米ロシアに翻弄されたイラン近代史
エネルギー政策は国の根幹である。たとえ積年の信頼関係がある友好国でも、自国のエネルギー政策をその国の手に握られてしまうことは躊躇される。いわんや、相手は欧米ロシアである。

イランの近代史は、欧米ロシアによる裏切りと搾取の歴史である。ヨーロッパ列強がイランに政治的介入を始めたのは18世紀後半から20世紀初頭にかけてのカージャール朝時代だ。当時、ヨーロッパで戦争が起こるたびに、どの国も要衝の地にあったイランと同盟を結びたがった。だが、彼らはイランを利用するだけして、自分の都合が変わると、イランへの約束の支援を中止したり、同盟を破棄したりした。

とりわけイギリスとロシアがイランの商業的利権を奪い合い、イランを半植民地化していった。国民には不人気で脆弱この上ないカージャール朝政府だったが、農民の反乱が起こればイギリスとロシアが鎮圧することになっていた。互いに敵対していた英露だったが、イランに関しては利害の一致から、協力してカージャール朝政府の延命に努め、甘い汁を吸い続けたのである。

1908年、イランで初めての石油が発見され、イギリスによって設立されたアングロ・ペルシアン石油会社にその利権は委ねられた。石油の利権にロシアもまた注目し始めた頃、イギリスはさらなる石油利権の確保のため、当時コサック旅団長であったレザー・ハーンにクーデターを起こさせ、カージャール朝を廃し、パハレヴィー王朝を創設させる。
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