◆学生たちの本音と建前

2004年、ますます混迷を深めるイラクでは、新たに日本人3人の誘拐事件が発生していた。そのせいか、日本の友人から送られてくるメールには、たいてい私の身を案じる言葉が含まれていた。心配してもらって申し訳ないくらい、イランは平和である。平和であるばかりでなく、テヘランは静かだ。しばしば学生運動の震源地となるテヘラン大学でも、隣国の惨状に声を上げる学生の姿はない。テレビやラジオからは毎日のようにイラク関連のニュースが流れ、事の次第は学生たちの耳にも届いているはずなのだが。

政府主導の反米集会で見かけた「反米犬」。イスラムでは、犬は不浄な動物の最たるものであり、「敬虔なムスリム」が犬を飼うことは決してない。このような官製集会では攻撃の対象にもなりかねず、犬も「反米」の衣を纏う必要がある。

政府主導の反米集会で見かけた「反米犬」。イスラムでは、犬は不浄な動物の最たるものであり、「敬虔なムスリム」が犬を飼うことは決してない。このような官製集会では攻撃の対象にもなりかねず、犬も「反米」の衣を纏う必要がある。

 

「君らは無関心だな。隣国があんな状態になっているのに、なぜ誰も声を上げない?」
学生たちにそう訊ねると、ある者はばつ悪そうに、またある者は開き直ったかのようにこう答えるのだった。

「アラブ人は昔、イランを征服して俺たちの文化を破壊したからね。イラン人は基本的にアラブ人が嫌いなんだ」
同じイスラム教徒としてのシンパシーはないのだろうか。

「今アメリカと戦っているのは、もともとサダムの仲間だったやつらさ。そんな連中のために何をしろって言うんだ?」
関係のない一般市民が大勢命を落としていることについては?
「サダムがどれだけ悪いやつだったか、イラク人もイラン人も本当によく知っている。それをアメリカが追い出したんだ。アメリカ軍を攻撃する方が理解できないよ」

イラン・イラク戦争について言及する学生も多い。8年間続いたこの不毛な戦争で、イランは25万人以上の死者を出している。戦後24年たった今も、開戦記念日、勝利記念日、ホラムシャフル奪還記念日などを盛大に催し、そうした記念日のたびに勇ましい記録映像がテレビで流される。

人々の記憶から戦争の爪あとはまだ消えていない。
「捕まったイラン兵がナイフで首を切り落とされるんだ。その映像を見た知り合いの女性は寝込んでしまい、しばらく何も食べられなかったよ」

「俺が10歳の時、父親はイラクとの戦争で死んだ。わずか10歳で父親を失ったんだ」
アラブ人への嫌悪感とイラク戦での恨み。さらに、これが本音なのかもしれないが、自らが直面する問題を訴える学生も多い。

「隣国の戦争より、国内の政治的、経済的問題をどう改善するかだ。自由がない、仕事がない、誰だって自分の身近な問題の方が大事だろ」
実際には、2004年までの数年間、イランは経済成長率7パーセントを維持しており、その後も石油資源による安定した外貨収入が見込まれていた。

それでもまだ、当時のイランの国民総生産は、1979年のイスラム革命前の三分の一に過ぎないと言われていた。また、6800万人の総人口の55パーセントが24歳未満であり、毎年雇用機会を求めるこれらの若者を、この国の労働市場は受け止めることができない。ほとんどの学生が卒業後、2年間の兵役に就くが、その後の就職先について訊ねても、誰も明確な答えを持っていない。

イラン一のエリート校であるテヘラン大学でこの有様だ。学歴のない若者にとって、夢のある未来など描けるはずもない。改革派のハタミ大統領の支持率低下も、国民の半数以上を占める若者の経済問題、つまり雇用問題が改善されないことへの反発によるものだ。

イスラム教徒には「防衛ジハード思想」というものがある。イスラム教徒の住む地域を「イスラム共同の家」ととらえ、異教徒がそこへ攻撃をしかけたなら、たとえ遠く離れていようともイスラム教徒は同胞を助けるべく「ジハード(聖戦)」に赴くか、その武装闘争を物理的に支援することが求められる。

アフガニスタンでのソ連軍による侵攻とその後の米軍による空爆、またイラクにおける英米軍の駐留、はたまたチェチェン、パレスチナ、カシミール、ユーゴスラビアでの紛争......。それら「異教徒によるムスリムへの虐殺」に対し、イスラム諸国から多くの「義勇兵」が参加したのは、この防衛ジハード思想によるものである。

6月の初旬、外国の複数のニュースサイトが興味深い記事を載せた。イランの革命防衛隊の一支部が、「殉教作戦」と称して自爆攻撃志願者をイラン各地の大学で募り、その登録用紙に1万人を超す男女学生が署名したというのだ。

登録用紙には「攻撃対象」として、①イラクの占領米英軍、②エルサレムの占有者(イスラエル)、③サルマン・ラシディ(小説「悪魔の詩」の作者でイギリスに在住)の3つが挙げられ、自分が攻撃対象にしたいものにチェックを入れるようになっている。

核査察で苦境に立たされ、イラクの二の舞を危惧するイラン当局が、「防衛ジハード思想」の存在を今一度世界にアピールしたかったのかもしれない。だが、本当に1万人もの登録が集まったのか確かめる手立てはない。

登録用紙は金曜礼拝の説教のあとで学生たちに配布されたという。休日にわざわざ大学のモスクへ礼拝に訪れる熱心な学生たちなら、その手の説教に感化されて、勢いで登録に及んだ者もいただろう。

「登録すれば何かもらえたんじゃないか?」とある学生は笑い飛ばした。
この国の建て前と本音、表と裏。その乖離の大きさに私はしばしば戸惑ってしまう。

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