熱狂的な支持者に囲まれる改革派候補キャルビー師。4年後の大統領選挙後の騒乱で、暴動の首謀者の一人として自宅に軟禁されることになる。(撮影筆者/2005年6月)

熱狂的な支持者に囲まれる改革派候補キャルビー師。4年後の大統領選挙後の騒乱で、暴動の首謀者の一人として自宅に軟禁されることになる。(撮影筆者/2005年6月)

 

◆第9期イラン大統領選挙(5) ~改革派の敗北
第9期イラン大統領選挙の投票日から一夜明けた2005年6月18日早朝、私はモーイン候補のテヘラン地区選挙本部前にいた。玄関のベルを鳴らし、インターホン越しに日本のフリーのジャーナリストだと伝えると、鉄の扉が開き、若い男性が私を中へ招きいれた。

そこには選挙運動員や改革派の新聞記者たちが集まっていたが、重苦しい空気に包まれていた。ナンとチーズの朝食を黙って口に詰め込む者、机に突っ伏してうなだれる者、疲れ切った表情で議論をかわす者。私を中に通してくれた男性に問うと、すでに50%ほど開票作業が済み、その結果は思いがけないものだったという。

これまで数多く行われた世論調査の結果通り、首位はラフサンジャニ師だが、2位を争そうと期待されたモーイン候補とカリバフ候補が4位、5位と低迷しており、これまでの世論調査でほとんど上位に上ったことのないキャルビ師とアフマディネジャード候補が接戦で首位のラフサンジャニ師を追い上げていた。

改革派系日刊紙「エクバル」の記者だというその男性は憤りながら言った。
「なぜなのかわからない。アフマディネジャードは何かしたかもしれない。例えば偽造身分証を使って複数回投票させたり、もともと投票箱に彼の票を仕込んでおいたり。もちろん何の証拠もないよ。でも保守派候補の中でさえ彼の人気は低かったんだ。やっぱりこの結果はおかしい」

イラン大統領選挙では、首位が得票率50%を獲得しなかった場合、2位との決選投票が行われる。今回、大方の予想では、ラフサンジャニ師は50%の得票率を獲得出来ず、2位の候補との決選投票にもつれ込むだろうと言われていた。それが改革派のモーイン候補であれば無党派層を、保守派のガリバフ候補であれば700万の組織票を糾合し、ラフサンジャニ師に勝利する可能性が十分にあると見込まれていた。

ところが、その日の夕方に確定した開票結果では、ラフサンジャニ師が21.8%の得票率で首位ながら、2位は保守強硬派の現テヘラン市長アフマドィネジャード氏で20.1%、3位は穏健改革派のキャルビ前国会議長18・2%、そして上位2位を占めると予想されたカリバフ前警察庁長官と改革派のモーイン元科学相はそれぞれ14.5%と14.3%に留まった。

キャルビ師とモーイン氏の両方が脱落したことで、改革派陣営の落胆は大きかった。終盤で突如2位から3位に転落したキャルビ陣営は、『票の入れ替えがあった』と不正を訴え、最高指導者ハメネイ師に票の再集計を求めた。

護憲評議会は20日、キャルビ陣営からの要請を受け入れ、テヘランなど主要4都市の投票箱を無作為に100個選び、その開票結果を調査した。しかし、不正行為の証拠となるようなものは何も見つからず、これによりラフサンジャニ師とアフマディネジャード氏の決戦投票が24日に行なわれることが決まった。

開票から3日後、私はテヘラン市内にある日刊紙「エクバル」の事務所を訪ねた。モーイン候補の選挙本部で知り合った記者を訪ねたのだが、事務所はすでに片付けられ、後片付けに残っていたエクバル紙の文化部部長であり風刺画家のハディ・ヘイダリ氏が迎えてくれた。

ヘイダリ氏によると、「エクバル紙」と、キャルビ師寄りの日刊紙「オフトーベ・ヤズド」は昨日、発禁処分を受けていた。キャルビ師が最高指導者ハメネイ師に出した、票の再集計を求める嘆願書に、ハメネイ師の息子が特定の候補を支持していたことへの批判が含まれ、それを掲載したかどで発禁処分を食らったのだ。発行再開の目処は立っていないという。

「改革派候補の得票数は(ラフサンジャニ師を含めて)全部で1600万票、保守派は1200万票。改革を求める人間の方が多いことははっきりしているんです。結局、彼ら保守派はアフマディネジャードに組織票を集めることに成功したんですよ」
改革派はキャルビ師とモーイン候補で票が真っ二つに割れてしまった。

一方、保守派はアフマディネジャード氏に票を集めることに最後の最後で成功した。「バスィージや革命防衛隊を使って全国で金品をばらまいた」とキャルビ師が批判しているが、真実は明らかではない。だが、仮にそうした不正があったとしても、他の保守派候補らの合意もなく、ほとんどその名が浮上したことのないアフマディネジャードがどうやって保守派の組織票を糾合できたというのだろう。

「イラン・イスラム参加戦線は決戦投票に向け、党を挙げてラフサンジャニ師を支持することに決めました。もちろん、本心じゃない。でも、我々にとって、アフマディネジャードを当選させるわけにはいかないんです」

「決選投票でもしラフサンジャニ師が勝利し、彼の内閣にモーイン氏やイスラム参加戦線党首レザー・ハタミ氏などが招かれたら、受けますか?」と私は尋ねた。
「受けますよ。党をあげて支援する以上、ラフサンジャニはそうせざるを得ないでしょう。政治ですから」
経済自由化を求めるラフサンジャニ師を大統領に、改革派からは大物人権派が閣僚に加わる。あるいはそれも悪くないと私は無邪気に思った。改革派の主要新聞で風刺画を描いているヘイダリ氏もまた、改革派がさらに4年間我が世の春を謳歌し、保守派がその間野党に甘んじ続けることを、「有り得る」と考えていたのだろう。恐らく当時のイラン人の多くが、ハタミ大統領による8年間の改革派政権時代を経て、自国の民主主義にある程度の自信を深めていた。

だが、この選挙は、4年後に訪れる改革派冬の時代の序章であり、ヘイダリ氏もまた、自身に逮捕と投獄の日々が訪れることなど予想だにしていなかっただろう。(続く)

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