断食月の定番。甘いナツメヤシの実と揚げ菓子バーミエ(撮影:筆者)

◆断食初日

8月2日午前4時起床。今日から30日間にわたるイスラムの断食月ラマザーンが始まる。日の出から日没まで一切の飲食を控え、善行に勤しみ、貧しい人の苦しみを知り、自らの心を鍛え、精神性を高める一カ月だ。

外はまだ真っ暗で、周囲のアパートの明かりが幾つか灯っているのが見える。夜明けのアザーン・礼拝の呼びかけが始まるまで、あと30分。今日の断食に備えて、皆、早い朝食を取るのだ。

断食に初めて挑戦したのは7年前。イランで暮らし始めて最初に訪れたラマザーンだった。イラン人と断食の苦楽を共にしようと思い立って始めたが、1週間でリタイヤした。あの日、店の奥や車の中、至るところで隠れて昼食を取っている人々の姿を目にし、馬鹿らしくなってやめてしまった。それ以来、異教徒の自分にとってラマザーン月は、ただでさえ規制の厳しいこの国で、外での飲食まで控えなければならないという、腹立たしい月でしかなかった。

だが、イラン生活も残りわずかとなった今、やり残したことの一つとして、リタイヤしたままの断食に再度挑戦してみたいと思った。この月がコーランの下された神聖な月だとか、この月の善行が普段の善行の何倍にもなるとか、イスラム教徒の団結を促す月だとか、そんなことを抜きにしても、断食月は多くの普遍的な意味を持つ。それに何より、最期までやり通してみて初めて分かることもあるだろう。

テレビを点けてみる。画面の端にはイラン各都市の名前と、それぞれの夜明けのアザーンの時刻が記され、すでにアザーンの始まっている都市の名前は赤く反転している。広大な国土を持つイランでは、当然ながら都市によってアザーンの時刻は異なる。首都テヘランは4時26分。私は急いで昨夜の残り物の大量のスパゲッティーを腹に収める。食事を終え、水をたらふく飲み終えた頃、テヘランの表記が赤に変わり、近所のモスクから、夜の闇を漂うようにアザーンが聞こえてきた。

周囲のアパートの明かりが一つ二つと消えてゆく。私も横になり、目を閉じる。朝まで一眠りして、いよいよ断食のスタートだ

イランの断食明けの軽食アーシュ・レシテ。ハーブと豆、麺を煮込み、揚げた玉葱や、キャシクと呼ばれる酸味のある乳製品をかけて食べる(撮影:筆者)

◆断食月3日目

断食月ラマザーンが始まって3日が過ぎた。この3日間は、空腹と喉の渇きよりも、睡魔とのたたかいになった。出社は昼なので、断食開始前の午前4時に朝食を食べてから5時間は眠ることが出来るのだが、全然眠った気がしない。目覚めると身体が重い。食べてすぐ横になっても、胃が働いているため熟睡できないのだろうか。

国営放送という職場柄、イラン人スタッフの多くは断食をしている。同じラジオ日本語課のイラン人スタッフたちに、朝食に何を食べてきているのか尋ねると、意外にも、普通の朝食だという。ナンにバターやジャム、牛乳、それに甘いナツメヤシの実を加える。軽いながらも、栄養価の高いものを食べるのがコツらしい。私はといえば、その日の空腹を恐れるあまり、腹いっぱい夕食並みの朝食を取っていた。中には私同様ボリュームのある朝食を取っているイラン人もいるが、その場合は、朝食後眠らず、お祈りをしたり、コーランを読んだりして夜明けまで過ごすのだという。

午後7時過ぎになると、私の勤め先では、すべての部署に、断食明けの軽食エフタールが配られる。パック入り牛乳に、ナツメヤシの実や、揚げ菓子バーミエ、それにサフランで色付けしたライスプディングが付く。一日の断食を終え、本格的に夕食を食べる前に、このエフタールで胃を慣らすのだが、日没のアザーンまでまだ少し時間があるので、まだ食べるわけにはいかない。

ラマザーン月の間は、残業もせず、7時半には退社し、自宅に向かう。近所の商店街では、食堂や生ジュース屋が開店準備を始め、昼間とは打って変わって活気付いている。菓子折りを抱えて家路を急ぐ人たちの姿が目立つ。油で揚げ、シロップをまぶした各種の甘いお菓子をエフタールで食べるのだ。

食堂やファーストフード店の店先には、アーシュレシテと呼ばれるハーブと豆の煮込みや、ハリームと呼ばれる七面鳥の煮込みの大なべが置かれ、行列が出来ている。ラマザーン月に多く見られる料理で、これもエフタールで食す。一カ月に渡って、日中、すべての飲食店は店を閉じるが、夕方から売り出すこのラマザーン月専用料理で、十分、いや、普段以上の収益があるという。

午後8時28分、テヘランの断食明けをテレビで確認し、コップ一杯の甘い抹茶ミルクを飲み干す。
何はともあれ、3日目が終わった。空腹も乾きも耐えられる範囲だ。体調と睡眠を管理していくことが当面の課題だ。

イランのラマザン月等で出されるハリーム。羊を骨ごと数時間煮込んだスープ。シナモン、砂糖をかける(撮影:筆者)

◆断食月7日目

断食月ラマザーンが始まって最初の一週間は、まだ体調管理が思うようにできていない人のために、新聞などでラマザーン月の健康管理に関する記事をよく見かける。ただでさえ厳しい断食月が、最も日照時間の長い真夏と重なる今年は(イスラム暦の1年は西暦より11日短いため、行事も毎年11日ずつずれてゆく)、特に水分の補給に気をつけなければならない。

あるインターネットの記事には、日没の断食明けから翌朝の断食開始までに、コップ8杯から12杯の水を飲みなさいと書かれている。それはちょうど、断食でなければ日中の間に飲んでいるはずの水分に相当する。乾燥肌の人や、唇が荒れやすい人には特に注意が促されている。

断食明けの軽食エフタールで取る食べ物にも注意が必要だ。まずは糖分を摂取すべきだが、砂糖からではなく、ハチミツやナツメヤシの実といった自然の糖分を摂取するのが望ましい。エフタールでよく食されるハーブの煮込みアーシュレシテは油っぽいので、実はエフタールにはあまり適さないという。

この一週間、特にそうした事柄に注意してきた訳ではなかったが、幸い体調を崩すことなくやってこれた。強いてあげるなら、職場で襲ってくる睡魔だ。ただの眠気ではなく、めまいのようなものを伴う異常な睡魔だ。断食故コーヒーを飲むこともタバコを吸うことも出来ないため対処のしようがない。それは私だけではないようで、社内では、あちこちで机につっぷして寝ている人がいる。みんな眠いのだ。断食に伴う体調変化に身体が順応するまで1週間ほどかかるというが、現在、この睡魔が収まる気配はない。

そしてもう一つは、心の問題だ。空腹は確実に人をいらいらさせる。赤の他人にそれをぶつけることはないが、家族にはついつまらないことで声を荒げてしまいそうになる。

心をコントロールし、本能的欲求に打ち勝ち、忍耐強さを身に付けることは、ラマザーン月にイスラム教徒に課せられた重要な課題だ。忍耐強くあるだけではなく、進んで善行に努めるべきとされているが、言うほど容易いものではない。自分など所詮、空調の効いた部屋でデスクワークをしているだけで、その苦労など、炎天下で肉体労働をしている人の比ではないというのに。(続く)

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