やはり平和ということなんですよ。開祖である父は、平和じゃない時代を経験していました。それは戦争という意味と、それから幼いころ家庭的に非常に恵まれなかったというところです。経験してきたことを語ることによって、父が私に伝えたこと、それは戦争とか平和とかという次元ではありませんが、自分に生きる力がないといけない、という価値観です。

これがないと、本当に自分に生きる力がないと、だれも守ってやれないということです。そんな思いと共に、幼少期を過ごしてきました。そういう中から常に、本当の意味での人間の強さとは何かとか、思いやりとは何かとか、そういうことにずっと問題意識を持って父は生きてきたのだと思います。

野中
考え続けていたわけですね。

父の成り立ちを振り返ってみると、戦争、そして大陸での経験があるんです。そういう歴史を経験してきたからこそ、戦争は絶対にしてはならない、という思いがあったのだと思います。突然出てきた価値観とかではなく、実体験をともなった意識ですよね。父は、私がもの心ついたときからその話を延々と、繰り返し繰り返し聞かせてきたのです。それがやっぱり私のベースになっているのだと思います。

だから、少林寺拳法というのはこういうものだという価値観を、父の実体験を通して聞いてきたのです。多くの高段者の弟子たちと同じような形で聞いているというよりは、父と娘という関係の中で培われてきたものです。つまり、全く違う形で私は聞いてきたのです。少林寺拳法というのはこういうものだということをとらえてきたのです。それゆえ、その思いは自然と育っていたのではないかと思います。
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