なぜムーサヴィーではなく、キャッルビーなのか?
「キャルビーは、より強く行動してきたと思う。20年間、政治犯や国会議員や学生たちをよく支援してきたわ。でもムーサヴィーは、20年間政府の外にいて、何をしてきたかよく知らないし」
もう一人の女子学生は、どちらかと言えばムーサヴィーの支持だという。

「この4年間で外交関係は切断され、イランは良い国と関係を持たなくなり、地位の低い国とばかり関係を持つようになった。ハータミーの時代はそんなんじゃなかった。外交関係は良かったし、文明間の対話は国際関係に大きな影響力を持っていて、イラン人の地位を高めてくれた。なのに今はイラン人はみんなテロリストだと思われている。ムーサヴィーはハータミーの政策を引き継いでくれると思う」
ここに来ている学生たちは、キャッルービーに何を求めているのだろう?

「みんな、自由が欲しいのよ。まず嘘ばかりの政府をなくして、次に自由がほしい。思想の自由よ。スカーフを取るとか表面的な自由じゃなくて、内面の自由のこと。学生は言いたいことが言えなければだめ。しゃべったことで刑務所に送るなんてだめよ」
そのときだった。キャッルビー派の学生たちで埋まるキャンパスに、突如、ムーサヴィー派の学生の一団が乱入してきた。

「ミールホセイン(ムーサヴィーのファーストネーム)を支持しよう!」とムーサヴィー派が声を上げれば、「保守派はいらない!」とキャッルービー派から野次が飛ぶ。仕舞いには小競り合いになった。

同じ改革派であり、基本的な政策理念の変わらない両派が起こすこうした争いは、まったく意味のないものだった。選挙戦が始まった当初は、どの派の支持者たちも、まだ自分たちの本当の敵が誰かを把握していなかった。(つづく)

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