板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞大阪本社 社会グループ記者(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)

板橋洋佳(いたばし・ひろよし)朝日新聞大阪本社 社会グループ記者(2011年5月10日付で東京本社社会グループ記者)

(板橋)
何のために、朝回り、夜回りをやるかです。目的がちゃんと明確にあって、それに行き着くための手段として朝回り夜回りがあるはず。
上司から言われたとか、「特オチ」がこわいからとか目的があいまいのまま朝まわり夜まわりをしたくないなとわたしは考えています。

(石丸)
「特オチ」というのはメディアの用語なんですよ。ジャーナリズムの用語ではない。
要するにメディア業界の用語ですよ。「特オチ」はメディアのなかの評価のものさしでしかないわけです。
たとえば、読売、日経、毎日には同じニュースが出ているけど、朝日だけがなかった。朝日だけは遅れて夕刊には書きました、ということがあっても読者にとってはどうでもいい話です。
今回の独自ネタのスクープは別ですけど、発表ものにおいて、遅れたら怒られるわけですよね。

(板橋)
そういった特落ちという「文化」があるのは間違いないですね。ただ、毎回、上司が怒るかといえばそうではないんですよ。

(合田)
「制度」とか「文化」というよりも、ほとんど伝統芸能の所作・様式みたいなものなんですよ。それがいま、かなり崩れかけているのかもしれません。それを崩すために今回のスクープは大きかったのかもしれません。

大阪地検特捜部がいったいなにをやってきたのかといえば、一番すごい事件が、自分たちでやってしまった今回の事件だったともいえます。
そういう意味では、大阪地検特捜部の一番の花形は結局なんだったのかということなります。いまの夜討ち朝駆けの所作もふくめて「王様は裸だった」みたいな感じになってきているのではないかとも思えるのですが、どうでしょうか。

(板橋)
検察の調書が裁判の証拠として認められなかったということを紹介しましたが、これまでほぼすべての検察調書が証拠として認められてきたなかで、検察の供述は信用できないことを裁判長が認めた意義はあるといえます。

(石丸)
これからメディアは変わらなければなりません。今までは競争相手が朝日は読売、NHKだけを考えればよかったわけですが、いまはブログ、ツイッタ―というメディアもあります。
いわゆるジャーナリストではない人たちがどんどん発信していくわけです。マスメディア間の抜いた、抜かれたという競争はナンセンスになってしまう。

マスメディア間の競争を担保してしまう原因のひとつが記者クラブなんですね。そこには他の人が入れない排除の構造があって。そこでしか情報がもらえないという状況が作られて、そこで競争することになってしまう。
夜討ち朝駆けも同じ論理です。そこに行けば捜査情報をもらえるから行く。
こんな「伝統芸能」は一日も早くなくなって、オープンな競争になればいい。「特オチ」のような発想ではなく、なにを大事にやっていくのかは、他社との比較ではなく、メディア、記者自身が主体的にやっていくことですね。

(板橋)
新聞でスクープをすると、紙面が大きくとれるんですよ。紙面が大きくとれるということは記事の量が増えるということなんです。ですから、先に書こうという気持ちの一端もご理解してもらえたらと思います。
伝えるべきことが紙面の都合でたくさん書けないのなら、やっぱり特ダネとして書いて、記事を大きく取り上げてほしいと思うのが記者の心情です。

(会場から)
朝日新聞の大阪府警の捜査一課を担当しております後藤洋平と申します。夜討ち朝駆けの件で、都島の警察幹部の官舎に行くことが多いのですが、どうしても捜査当局は都合のいいことを言ってくることが多い。
イラクと戦争をしているアメリカ軍に従軍記者として付いて、犯人の供述を報道するときに、「アメリカ軍が言うにはイラクの言い分はこうである」という記事を書いている、書かされている。
これはすごく不自然で変えるべきだとおもっているんですが、今後、どうしたら、そのようなことが変わっていくんでしょうか。板橋さんはどうお考えですか。

(板橋)
同じ社で記者をしている者同士なので一緒に変えましょう、という話です。読者の力もいただいて、変えていく努力をしていかなければならないと思っています。

(会場から)
板橋さんが強調されたのが取材力ということですが、取材力はどうやって高めていくのですか。

(板橋)
取材力には、的確に質問する力、資料や証言を分析する力、最後に文章にする力も含まれていると思います。基本は、取材相手から話を聞かせてもらう力でしょうか。
記者は相手から話を伺わせてもらって、はじめて成り立つ職業です。それはいい話でも悪い話でも。誠実に相手と向きあいながらも、自分が聞きたい話は繰り返しきいていかなければならない。
このバランスのなかで相手に認めてもらう。それに加えて、自分が話を聞けないなら、別の記者を取材に来させますぐらいのファクトに対するこだわり、情熱も必要なのではないかと考えています。
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