ノウルーズのご馳走は、「サブズィーポーロー ヴァ マーヒー」が一般的だ。ハーブを炊き込んだご飯「サブズィーポロウ」に、ニジマスのフライを添えた料理だ。ハーブの緑がちりばめられた炊き込みご飯は、新芽のまぶしい春の祝祭にふさわしい。

また、ニジマスは、まだ輸送機関や保冷機器のなかった時代、魚が大変高価だったころから、ノウルーズのごちそうとして定着したと言われている。現在では、この料理は決して高級料理ではなく、ニジマスも最もポピュラーな魚として年中手に入るものだが、ノウルーズに食されるという伝統は今も残っている。

この年初回りには、ノウルーズならではのもう一つの側面がある。それは、前年に仲違いした者同士が、新年に相手を訪問し合い、和解することだ。前年の禍根を翌年に持ち越すなという考えは、ノウルーズが本来持つ慣習ではなく、イスラムが新たに付加したものと言われる。

新年の13日目は、ノウルーズの最後の行事「スィーズダ・ベダル」が行われる。この日、家の中にこもっているのは縁起が悪いとされ、家族そろってピクニックに行くのが慣わしとなっている。

スィーズダ・ベダルはノウルーズ同様、イランがイスラム化する前からこの国にある慣習だ。迷信を嫌うイスラムを国教とするイラン政府は、スィーズダ・ベダルという名前を使うことを極力避け、「自然の日」と呼んでいるが、本来の名が忘れ去られてしまうことはないようだ。

西暦で言えば4月2日。春の陽気でぽかぽかと暖かく、13日間の正月休暇でテヘランの大気汚染も一掃され、僅かに山肌に残るエルブルースの残雪もくっきりと眺められるピクニック日和である。

私と妻は午前中、お茶とお菓子を持って家を出た。正月飾りのサブゼ(青草)も忘れずに持って出る。サブゼはこの13日間成長しながら、これからの1年間に家族に起こる病気や悪い事を吸収しているとされ、これを13日目に外へ捨てに行くのもスィーズダ・ベダルの重要なイベントの一つである。

一説では、この青草を、流れる水の中へ投げ捨てるのが良いとされているが、今ではほとんどの場合、ピクニックに出かける車のボンネットや屋根の上に乗せ、自然に落ちるのを待つという捨て方が定着している。この日、町にはボンネットに青草を載せた車と、道路でペシャンコにつぶれた無数の青草を見かけることになる。車のない我が家は、タクシーを捕まえ、運転手さんに頼んでサブゼをボンネットに乗せてもらった。

ボンネットにものを乗せて、しかもそれを落とすために車を走らせるというのは、なかなか刺激的だ。サブゼは風船のように軽くはないので、ちょっとやそっとのカーブやブレーキでは落ちない。自分の車だったら絶対にわざと運転を荒くしていただろう。ようやくサブゼが落ちたときには、妻と歓声を上げながら、無残に路上を転がってゆくサブゼを見送った。

サブゼを車の屋根に乗せて捨てるというこの習慣は、恐らくテヘランをはじめとするイランの多くの都市に、水量豊富な川がほとんどないことが原因かもしれない。
到着した市街地の小高い山にある森林公園では、簡易テントと食事やお茶の道具を持ち込んだ多くの家族連れで賑わっていた。

キャバブの焼き台や水タバコを用意している家族も多い。駐車場には、水タバコのレンタルや凧売り、杏子などのドライフルーツの練り菓子といった、行楽地お決まりの露店も目に付く。日本のお花見と雰囲気はそっくりだが、お酒は存在しない。

騒がしい駐車場周辺を離れ、2時間ほど静かな山歩きを楽しんだ。帰路は親切な家族連れの車に乗せてもらった。長かったノウルーズ休暇もこれで終わりだ。町は明日からまた、日常の喧騒を取り戻す。

思えば去年のノウルーズは、学生たちが帰省して静まり返った学生寮で、一人机に向かって勉強していた。ノウルーズの習慣も知らず、通りを歩いても、普段より交通量がぐっと減り、スモッグが消えて空がきれいだったことぐらいしか記憶にない。一人きりだったなら、今年のノウルーズも多分同じように過ごしていただろう。

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