合計8人乗りのミニ観覧車。感心するのは、オーナーがどの子をいつ乗せたのか常に把握していることだ。お客は途切れることなく、複数の公園をかけもちすれば、恐らく流しのタクシー運転手よりずっと割りのいい仕事だろう(大村一朗 2009年撮影)

合計8人乗りのミニ観覧車。感心するのは、オーナーがどの子をいつ乗せたのか常に把握していることだ。お客は途切れることなく、複数の公園をかけもちすれば、恐らく流しのタクシー運転手よりずっと割りのいい仕事だろう(大村一朗 2009年撮影)

 

◆テヘランでの幸福な記憶

朝、私が家を出ようかという頃、息子は自分でサチュレーションモニター(睡眠時の血中酸素飽和度と脈拍を計るモニター)の電源を切り、キッチンまで よたよたと歩いてきて座り込むと、足についているセンサーを取ってくれとアピールする。センサーは先端がテープ状になっており、足の甲に貼り付けた上から 靴下をはかせ、さらに簡易な靴も履かせて容易に外れないようになっていた。

生後4か月で呼吸を止めて病院に担ぎ込まれて以来、睡眠時無呼吸症の息子は、2歳が近づいても相変わらずモニターのお世話になっていたし、寝るときは常に片足に靴下と靴を履いている。

サチュレーションモニターはもともと血中酸素濃度を測ることが主目的の機器だが、毎分の心拍数と心拍の強さを表示し、心拍音も聞かせてくれる。赤ん 坊の心拍数を気にかける親など滅多にいないだろうが、これが実に役に立つのだ。物言えぬ赤ん坊が熱を出して寝込んだとき、表情だけでは病状の進行は読み取 れない。そんなとき、心拍数は、病状が悪化しているのか快方に向かっているのかを判断する大きな材料になる。また、平常時の心拍数が日ごと、月ごとに低下 していくことは、肉体の成長そのものを物語る嬉しい兆候だった。

一方、睡眠時の血中酸素濃度については、数値の低下と、それに伴いアラームが鳴る頻度は、以前とたいして変わっていない。小さな呼吸停止は毎夜数回 は起こり、アラームが鳴るたびに私たち両親は起きて息子の寝顔を確認する。すでに自力で呼吸を回復し、安らかな寝顔をしているときもあれば、少し苦悶の表 情を浮かべているときもある。妻はそんなとき、「また呼吸さぼってはるわ・・・・・・」とつぶやく。

息子は寝ているときは呼吸がふらふらだが、起きてしまえば元気いっぱいの普通の赤ん坊だ。天気が悪く、家で過ごす日などは、ストレスがたまるのか、 洗濯機やシャワー室にいろんな物を投げ込んだり、ティッシュを箱から全部ひっぱり出したり、ガスの元栓やつまみをいじったり(イランのガスの元栓は足元に あることが多い)、ご飯やお茶をひっくり返したりと、とにかく手に届くものすべてにちょっかいを出さないと気が済まないようだった。
一度は旅行に出発する直前、満面の笑みで5リットルもある油缶を引きずってきて、あっという間に玄関のカーペットの上にぶちまけてくれたこともあった。旅支度を玄関で揃えている私たちを見て、何かお手伝いをと思ったのかもしれない。

おもちゃは数多くは持っていなかったが、キッチン用品が十分に代用となった。鍋や釜を並べたり、その鍋にすっぽりと入ってみたり、スリッパとミニカーで大行列を作ったりして楽しく遊んでいた。プラスチックのボウルや漏斗を帽子代わりに頭にかぶるのも好きだった。

「ボウルかぶったまま外行ったの?!」
「うん、バスにも乗ってきた。みんな笑ってたわ。何かぶってんのーって」
「......」

異国でキッチンボウルを頭にかぶった幼児を連れ歩くことに、さしたる違和感はないらしい。

「今日はどうしてもって手放さへんかってん。怒って無理やり取り上げるほどのこともないしな。イラン人の目はやさしいの分かってるし。日本やったら?さすがにしーひんかなあ」

毎日決まった時間になると、ペルシャ湾を挟んだ隣国カタールの子供向け衛星放送にチャンネルを合わせる。アルジャジーラの子供向けチャンネル、アル ジャジーラチャイルドだ。このチャンネルは、アニメや人形劇などを常に放送してくれているが、息子の一番のお気に入りは、アラビア語名「奇妙な庭で」と題 する着ぐるみ人形劇だった。ナレーションはアラビア語だが、登場するキャラクターは何語でもない独自の言葉をしゃべり、ストーリーは映像を見ているだけで 分かる。インターネットで調べてみると、制作はイギリスBBCで、オリジナル名は「In the night garden」だと分かった。とにかくその奇妙な世界観とかわいらしいキャラクターに妻も私もすっかり魅了され、親子で楽しめる唯一のテレビ番組だった。

外出は息子にとって出会いと冒険の連続であり、最大の楽しみであっただろう。もちろん、一瞬でも手を離せば一目散に駆け出し、目を離せばその場から 消えていなくなる息子を外に連れ出す妻の緊張と気苦労は想像に余りある。道路に飛び出し、危うく車に惹かれそうになったところを、通りがかりのイラン人に 助けられたことは一度や二度ではなかった。

カスピ海へ海水浴に行った夏、知らぬ間にホテルの部屋を飛び出し、400メートル離れた海辺に向かって一目散に駆け、ぎりぎりのところで妻が追いついたこともあった。リードでつないでおこうかと本気で考えたほどだった。

それでも妻は細心の注意で息子を散歩に連れ出した。イラン人が子供好きなので、近所の人はもちろん、通りすがりの人でも息子を気にかけてくれるという安心感もあったという。

息子は公園で見知らぬ子どもたちとよく遊んだ。このぐらいの子どもたちは、一緒に遊ぶのにまったく言葉というものを必要としないらしい。ただ全身でその意志を表し、表情と歓声でそれに応えるだけで十分なようだった。

公園をぐるりと囲む縁石の上を、息子は手を取られながらバランスを取って歩くのが大好きだった。縁石の上を歩いてゆくと、ある場所でいつも小さな人 だかりに出会う。そこには、高さ3メートルほどの人力観覧車があるのだ。4つの車輪が付いた可動式の観覧車を、おじさんがどこからともなく引っ張って現れ るのである。

幼児2人が向かい合って座る小さなボックス席が4つ付いたこの観覧車は、一回30円ほど。オーナーのおじさんは子どもの年齢に合わせて速度を調節し て回してくれる。3分ほどは回してくれるだろうか。子どもにとっては十分満足のいく時間だ。あいにく2歳前の息子は、まだこれに乗る勇気がない。前を通り かかるたびに「乗るか?」と聞いてみるが、青ざめた表情で首を横に振る。

私が休みの日には、歩いて30分ほどのところにあるミニ遊園地に家族で出かけることもあった。広い公園の一角に、ミニゴーカートやミニ機関車、ミニパイレーツなど、通常のものより一回り小さいながらも、電動式のアトラクションが10個ほどもある。

高さ10メートルほどのミニ観覧車もある。大人でも軽く恐怖心を覚える高さだが、息子は親と一緒に乗れるせいもあってか、こちらは怖がらない。かなりの高速で5分以上も回り続けるので、私はいつも酔って気分を悪くしたが、息子はけろりとしていた。

この遊園地に限らず、イランの遊園地のアトラクションは、どれもおしなべて運転時間が長い。一度動き出すとなかなか終わらず、必要以上の満足感を与 えてくれる。イラン人のサービス精神からか、産油国の強みゆえか(光熱費の補助金を段階的にカットする補助金の目的明確化法は2009年当時まだ施行され ておらず、国内に「省エネ」の概念はほとんどなかった)。

イランならではの休日の過ごし方も、妻の友人一家のご厚意で何度も体験させてもらった。テヘラン市民の中には、といっても経済的にいくぶん余裕のある階層に限られるが、スモッグの覆う市街を抜けてしばらく車を走らせた郊外の農村地帯に別荘を構える人々が少なからずいる。

ポプラ並木と畑が広がる長閑な農村地帯に土地を買い、小さな平屋を建て、週末には家族や親族で集まり、庭でケバブを焼いたり、水タバコをくゆらせた り、子どもはそれこそ身体全体で田舎を満喫して過ごす。イラン人はそうした農村の別荘へ行くことを、「バーグ(農園)へ行く」という。テヘランにはない、 ゆったりと流れる贅沢な時間を過ごすために。

ある日の夕暮れ、周囲に広大なスイカ畑が広がる小道で、何百匹もの羊の群れとすれ違う。舞い上がる砂塵が西陽にきらめく中、ほこりまみれになって羊たちを追い回す息子の姿を、私と妻は眺めていた。
イランでの日々がどれほど彼の記憶に残るのかは分からない。羊たちと戯れたこの夕暮れも、すぐに忘れてしまうのかもしれない。でも、たとえ記憶に残らなくても、今は息子の脳裏にせっせと種をまき、水を与え続けている。いつか予想もしなかった花が咲くのを楽しみにしながら。

モニターをはずせる日だって、裸足で気持ちよく寝かせてやれる日だって、いつかきっと訪れだろう。そんな未来について妻と話すとき、私は心が浮き立つように楽しかった。

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