荷台からの景色。アドベ造り(土と藁を混ぜたレンガ)の小さな村々を通り過ぎる(イラン・マハッラート近郊)

荷台からの景色。アドベ造り(土と藁を混ぜたレンガ)の小さな村々を通り過ぎる(イラン・マハッラート近郊)

 

宿の前で待つこと数分、記念すべき"初乗り"は軽トラックだった。私と息子が助手席に、妻は嬉々として自分から荷台に。途中から別のおじさんも乗せて、土 漠地帯の一本道を走ること十数分、分かれ道で私たちとおじさんは下車した。おじさんは近くの村の自宅へ誘ってくれたが、我々は先を急ぐことにした。

「箱乗りなんて、小学生の七夕の時、地元の農家へ笹をもらいに行ったとき以来だよ!」

妻はいたく上機嫌だったが、次の車がなかなか来ない。ならば歩くしかない。変化のない風景に、ひょっこりと変化が現れる。小さな花、小さな運河、い つの時代のものか分からない石造りの小さな橋。道は容赦なく人里から離れていく。たとえ車が来たとしても、全部が停まってくれるわけではない。

未舗装の古い道に掛けられた小さな橋。このあと渡ってみたが大丈夫だった(イラン・マハッラート)

未舗装の古い道に掛けられた小さな橋。このあと渡ってみたが大丈夫だった(イラン・マハッラート)

 

結局、行きは乗り合いタクシーも含めて3台の車に乗せてもらい(タクシーは有料)、1時間15分かかって目的地のホルヘ村に着いた。

見たかった2本の柱が目に飛び込んでくる。思ったより規模が大きく、柱以外にも石を切り出して作った巨大な建材の残骸が広範囲に広がっている。
遺跡には先客がおり、大学の研究者とのことだった。彼らの言うところでは、ここには先史時代からアシュカーニー朝期、イスラム時代などの建築物が眠ってお り、大富豪の屋敷跡だという。近くには川があり、湧き水もあり、家主はかなり力のある人物で、使用人をたくさん住まわせる部屋も残っているとのこと。柱の 高さから、その権勢が偲ばれる。

正式には「ホルヘの古代の丘と建築物」という(イラン・マハッラート近郊)

正式には「ホルヘの古代の丘と建築物」という(イラン・マハッラート近郊)

 

帰りは時間との戦いだ。チェックアウトの時刻まで50分もない。とにかく、歩けど歩けど車が来ない。ようやく乗り込んだ一台目のトラックは有料で、途中の分岐点まで乗せてくれた。この分岐からの通行量を期待していたのに、ここから車の姿がぷっつりと途絶えてしまった。

タイムリミットまで30分を切っても、20分を切っても、とうとう10分を切っても車は現れない。こんな人里離れた土地を家族揃ってふらふらと歩く機会も そうはあるまい、と思いながらも、5分を切ったときにさすがに焦って宿に電話を試みた。しかし電波が届かない。これは追加料金もやむなしかなと半ば諦めた ところで、一台のホンダ車が現れた。

暗雲たちこめ、冷たい風が吹きすさぶ(イラン・マハッラート近郊)

暗雲たちこめ、冷たい風が吹きすさぶ(イラン・マハッラート近郊)

 

運転手は少し強面の兄ちゃんだったが、息子のために暖房を入れてくれた。イラン人には珍しく、無口な青年だった。自己紹介の後、しばらく沈黙が続いた。

「日本には、どんな麻薬があるの?」

沈黙をやぶったその言葉は、随分と突飛なものだった。

私が麻薬の名前を挙げる度に、「それはイランにもある」と答える。「麻薬やるの?」と私が聞くと、「昔やってたけど、今はやってない」と言う。

「よく、やめられたね」
「更生施設に入っていたから・・・・・・」

「なんでタクシーで行かなかったの?」と兄ちゃんが聞く。
「車が来ると思っていたんだ。でも、間違いだったね。ぜんぜん車が来なかった。ところで――」

話をさっきの話題に戻そうとしたら、もう宿に着いてしまった。兄ちゃんは手を振って車を走らせた。

私は大急ぎでフロントに急行し、チェックアウトの手続きを済ませた。時間はかなり過ぎていたが、文句ひとつ言われることもなかった。
きっと、宿のフロントでタクシーを呼んでもらって、往復をチャーターしていれば、こんな苦労もなくとっくに宿に戻れていたことだろう。でも妻は言う。

「タクシーで行っていたら、絶対に得られない、いろんなものがあるよ。それは風景だったり、出会いだったり、風だったり、寒さだったり、心細さだったり、発見だったり。そして嬉しさや楽しさは2倍になる」

いつも私の計画が破綻したときほど、妻好みの旅になるようだ。ともあれ、お湯も人も、いい温泉町だった。ここは案外、穴場かもしれない。

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