2009年イラン大統領選挙における国営放送の選挙キャンペーン番組表。赤、青、黄、緑で色分けされた4候補の出演スケジュールが一目で分かる。

2009年イラン大統領選挙における国営放送の選挙キャンペーン番組表。赤、青、黄、緑で色分けされた4候補の出演スケジュールが一目で分かる。

 

◆ 歴史的討論

イランの大統領選挙では、国民の選挙への関心と投票率を高めるために、20日間の選挙運動期間中、国営テレビとラジオで様々な選挙キャンペーン番組 が組まれる。第10期イラン大統領選挙では、それぞれの番組への出演時間が合計17.5時間ずつ、各候補者に平等に与えられることになった。

選挙キャンペーン番組には、「専門家への回答」、「在外イラン人との対談」、「ドキュメンタリーフィルム」、「テレビ討論」といった30分から90 分までの番組があり、くじ引きで決まった順番に、候補者が各番組に出演する。なかでも注目の番組は、立候補者4人による総当り、1対1の「テレビ討論」で ある。イランの大統領選挙では初の試みだ。
90分のこの番組では、出演する二人の候補にそれぞれ40分の持ち時間が与えられる。囲碁の対極よろしく、発言は交互に行なわれ、話した分だけ持ち時間がカウントされてゆく仕組みだ。

「テレビ討論」の二日目。その日の出演は、今期大統領選挙の本命と目される二人、現職のアフマディネジャード大統領と改革派のムーサヴィー候補だった。夜10時半、国民の多くが見守る中、後に「歴史的討論」と呼ばれることになる討論の幕が切って落とされた。

《アフマディネジャード》
「国民の声を聞くと、彼らは自分たちの権利や立場を守ってほしいと私に言う。私は今日の腐敗の根本について述べなければならない。今、私の目の前に立ちは だかっているのは、ムーサヴィー氏ではない。過去三つの政権である。これら三つの政権はいつも互いに支持し合ってきた。実際これらは一つだった。私の内閣 が成立したとき、彼らは私の内閣を標的に据えた。私個人やある問題に対して重い圧力が加えられた理由は、これら三つの政権が革命の理念とはかけ離れた理念 を持った運営システムを形成していたからだ。彼らはこの4年間、政府を地面に叩きつけようと努力してきた。しかし、至高なる神の助けにより、我々はここま で来ることが出来た。ハーシェミー氏(ラフサンジャーニー元大統領)が隣国の王の一人に、半年以内に政府を崩壊させるとメッセージを送っていたにもかかわ らずだ」。

イランでは、30歳未満が総人口の3分の2を占める。選挙権は16歳以上なので、10代、20代の若者が厚い有権者層を構成している。こうした若年 層にとって、アフマディネジャード現政権下での4年間と比較できるのは、その前のハータミー政権下での8年間であり、それ以前のラフサンジャーニー政権の 8年間や、さらにその前のムーサヴィーが首相を務めた戦時政権などは、実感として記憶になく、比較の対象にはなりえない。

そのため、強硬で宗教的なアフマ ディネジャードより、自由でリベラルなハータミー時代の方が良かったと考え、そのハータミー師が推すムーサヴィーを支持する若者が多くなるのは自然な成り 行きだろう。

アフマディネジャードがこの討論の冒頭で、自分の敵がムーサヴィー1人ではなく、革命思想からの逸脱という同じ根を持ったこれまでの三つの政権すべてが敵 であり、自分こそが4年前の選挙で、革命に全てを捧げながらもこれら三政権の時代に社会から置き去りにされてきた貧しい人々から信託を受けた大統領である と主張したのは、政治的記憶の限られた若年層を意識してのことだろう。そしてアフマディネジャードはこの討論で、最後までこの旧三政権の一体性というテー マを貫いてゆくのである。

これに対し、ムーサヴィー候補は、細かな具体例を挙げながら、この4年間のアフマディネジャード政権の「失策」を一つ一つ糾弾してゆく。

《ムーサヴィー》
「領海侵犯したイギリス兵については、最初あなたは処刑されるべきだと表明し、海外から大きな反発を呼ぶと、今度は彼ら一人一人にスーツを仕立ててやり、 全国民の代表である大統領が、まるで海外の要人に接するかのように、空港で彼らをお見送りした。これでイラン国民の名誉は保たれたのか?そんなはずがな い。我々の名誉を傷つけ、我々の外交政策を困難なものに貶めた。ホロコースト発言はどうか? あまりに大きな代償と損害をはらんだものだった。パレスチナ 問題はどうか。ダーバンでの国連人種差別撤廃会議のとき、ヨーロッパ諸国はガザでの殺戮を理由にせっかくイスラエルとの関係を悪化させていたのに、あなた のスタンドプレーは結果としてイスラエルを利する結果となった。あなたの第9期政権は、空想的で、不安定、茶番劇、スローガンばかりで、迷信的である。こ の4年間、アメリカやフランスやイスラエルが崩壊しつつあるという言葉を何度もあなたの口から聞いた。我々は空想にふけっていてはいけない。明らかに道を 見失わせるこうした外交政策を、我々は変えなければならない。
こうしたあなたの政策は国民の日々の生活に影響し、イラン国民は自らのパスポートが世界で信用を失い、外国に行けば恥ずかしい思いをすると考えている。政府はこうしたことの責任を取るべきなのだが、まったく気にも留めておらず、国民は悲嘆に暮れている」。

ムーサヴィーの詰問は留まることなく、司会者の制止でようやくアフマディネジャードにカメラが向けられた。アフマディネジャードは、散々自身の内 政、外交をこき下ろされたにもかかわらず、余裕の笑みさえ浮かびながら話し始めた。まずムーサヴィーの指摘した「間違った情報」を一つ一つ取り上げ、その 真相がいかにイランの国益にかなった出来事であったかをよどみなく説明した。核開発についても、イスラム革命後常にイランの体制返還を目論んできたアメリ カが、イランでウラン濃縮が実現した今になって、まずブッシュが、そして最近ではオバマが公式にイランの体制返還を望んでいないことを表明したではないか と力説した。

《アフマディネジャード》
「あなたは『懸念している』と言いました。ではお聞きしますが、ラフサンジャーニー政権時代には49.5パーセントものインフレがあり、490億ドルの対 外債務があった。社会が危機的な状況に陥り、多くの人々が殺された。あなたは懸念を感じなかったのか?ティール月18日(1999年7月9日・ハータミー 政権時代)の騒乱で革命体制が脅かされたとき、あなたは懸念しなかったのか?第9期政権のどこが独裁政治なのだ。ラフサンジャーニー時代には批判的な新聞 はたった一つしかなかった。ハータミー時代には誰も批判する勇気すら持たなかった。今は新聞を開けば私に対する批判ばかりだ。
ラフサンジャーニーとハータミーの時代に大金持ちになった政治家はいっぱいいる。ラフサンジャーニーの息子はその時代に何をした?ナーテグヌーリー(政治 家で高位聖職者。97年の大統領選挙でハータミーに敗れる)は今どんな生活をしている?その息子はどうやって億万長者になった?彼らはどうやって土地や工 場の所有者になった?ハータミーの時代、多くの政治家が何百ヘクタールの地主になった。そういう人たちが今あなたを支持している。誰があなたの選挙本部に 献金しているかすべて知っていますよ」。

革命の功労者であり、最高指導者に次ぐナンバー2の実力者であるラフサンジャーニー師とその一族の金権体質については、国民の周知の事実であって も、これまでそれを公けに口にすることは生命の危険を意味するほどのタブーだった。それをアフマディネジャードは何の躊躇もなく言ってのけたのだった。こ の討論の翌日、次のようなジョークが携帯メール(SMS)でイラン全土を飛び交った。

『明日からイランの全ての都市の一つの通りの名が『シャヒード・アフマディネジャード通り』に変わるだろう。byラフサンジャーニーの息子』(シャ ヒードは「殉教者」の意。イランには革命や戦争で命を落とした殉教者の名を冠した「シャヒード○○」という名の道が無数にある)

前年の2008年11月に学歴詐称で罷免に追い込まれたアリー・コルダーン内相について、アフマディネジャードはそれもラフサンジャーニー政権時代 の一時期に、偽の学位を乱発する動きが起こり、多くの閣僚や責任者らがそうした偽の学位に飛びつき、コルダーンもその一人に過ぎなかったと言った。そし て、ラフサンジャーニー時代の責任者らの、誰がそうした偽の学位を受け取っているか、すべて把握しているとし、一枚の書類をカメラの前に示して次のように 言った。

「ムーサヴィーさん、いつもあなたのそばに付いている奥様が、二つの専門分野で違法に修士号を取得し、その後、全国一斉試験を受けることなく博士課程に進み、大学教授となり、今は学長の座に収まっている。このことを示す証拠書類を私は持っていますよ」。

ムーサヴィーは努めて冷静さをたもとうとしているように見えた。そしてようやく、「なんと答えたらいいのでしょう。アフマディネジャードさんと話を することには困難が伴う」と切り出して、言葉を続けた。司法が判断を下したわけでもないのに、アフマディネジャードが様々な個人名をこの場であげて断罪し たことを非難し、自身の妻の学歴についても擁護した。ムーサヴィーは次第に語気を荒げていった。

「この国が現在抱える問題の一つは、大統領の行政を補佐する者たちが、国民の問題の解決に奔走する代わりに、今夜の役に立てようと偽の書類を作るためにあちこち奔走して私たちを困らせていることである。私はこういう精神性を変えるために立候補したのだ」

この間、アフマディネジャードは肩を震わせながらこみ上げる笑いに耐えていた。

この討論の翌朝、ムーサヴィー支持の友人は興奮気味に、私に次のようなショートメッセージをよこした。

「昨夜の討論見たか?ムーサヴィーがアフマディネジャードを踏み潰したな」

しかし、そのことを職場のイラン人の同僚に話すと、彼は、「そうは思わない。どちらが一方的に勝ったとは言えない内容だった」と冷静な口調だった。 この日乗ったタクシーの運転手は、「俺はもともとアフマディネジャードを支持していた訳じゃないが、昨夜の討論を見て、アフマディネジャードを好きになっ たよ。今まで誰も口に出来なかったことを堂々と言ってのけた」と評価していた。この討論から抱く感想は、人それぞれ違っていたようだった。

筆者個人の感想としては、これは討論とは名ばかりで、相手の過去の過失をあげつらうばかりの、なんら建設的な内容のない中傷合戦だったと思う。

若者は、言いたいことを言えば牢屋行きというこの社会で、ここまで大統領を頭ごなしに批判できるムーサヴィーという人物の存在を改めて知り、感動す ら覚えたかもしれない。そもそも、イラン・イラク戦争時の国内政治は、ムーサヴィーが首相を、現最高指導者のハーメネイー師が大統領を務め、常に軋轢の耐 えなかったこの二人の間を最高指導者ホメイニー師がとりなしていたという。そんなムーサヴィーにとって、アフマディネジャードなど青二才の若造に過ぎない のだ。

一方、アフマディネジャードの支持者らは、イラン政治の保守本流とは別のところで、ラフサンジャーニー政権からハータミー政権へと腐敗の根が継承さ れてきたことを再確認し、ラフサンジャーニー批判というタブーに真っ向から挑戦するアフマディネジャードは、「庶民の味方」として彼らの目に映ったかもし れない。

選挙キャンペーンの一環として今回新たに始められた候補者による1対1の「テレビ討論」は、大きな驚きと波紋を内外に広げて終了した。この討論が後々、国内にどのような影響を及ぼすことになるのか、少なからぬ人々は予測していたかもしれない。

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【イランの大統領と選挙制度】
国家元首は宗教指導者であり、大統領は行政府の長という位置付けに過ぎないが、州知事や大使の任命権などを有する。任期は4年で連続2期8年まで継続可能(一度退任すれば再立候補は何度でも可能)。16歳以上の直接選挙で選ばれるが、立候補には厳しい資格審査があり、現イスラム体制に忠実な人物しか立候補を認められない。この資格審査という制限によって、イランの民主主義は不完全なものであると欧米諸国から非難されている。また国内でも、このような選挙制度のもとでは、経済問題や人権問題など、国の根本的な問題は何も変わらない、と冷めた見方をする国民も多いが、選挙に不正はないとの前提のもと、自身の一票を国政に生かそうという国民も多数いる。また投票の際に身分証に押されるスタンプの数が少ないと、進学や公務への就職、パスポートの取得などに影響すると言われており、そのために高校生のほとんどは投票に行く。1979年のイスラム革命以降、2009年までに10期6名の大統領が選出されている。

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